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ハルキを翻訳者の目線から捉え直す

日曜日はリラックスして文学や芸術に楽しんでいます。

私は大学生の頃から村上春樹さん(以下、敬称略)が好きで、長編が出版されれば必ず3回以上繰り返し読んできました。

今日はそんな世界文学を創作する村上春樹作品は世界でどのように翻訳されているのか、について浸っていました。


こちらの本は、村上春樹を翻訳してきた世界の翻訳者が作品について感じることを語りあったシンポジウムの記録です。

読みながら尊いなぁと思ったことは、私も感じていたけど言葉にできていなかった感情について、ストレートに上手に言語化して下さっていたところです。たとえば、ある翻訳者さんが村上春樹作品に作者の「境界を打破したい」という感覚を読み取っていることが語られていました。たしかに多くの作品において、生と死や、現実と想像の境目が隣り合っている描写がしばしば出てきます。しかし、私はなぜこのような描写でストーリーが進むのかはあまり考えていませんでした。それに対して、境界を「打破したい」という理解を提示され、長年読んでわかっていたつもりいた私には全く想定外の解釈でした。とても新鮮であり、同時にとても共感できました。そして、世界の翻訳者が村上春樹作品について、日本のエキゾチックなイメージだけでなく、人として内面的に深く共感していることを感じます。

また、日本にはない概念を世界に通訳する際の苦悩も伺うことができます。例えば、「世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド」には、「ヤミクロ」というものがでてきます。

たとえばこのような場合、ロシア人の翻訳者さんは「アリス」に出てくる怪物的なものととらえ、その怪物をもじったものに訳されたそうです(私は初めて読んだとき、となりのトトロのまっくろくろすけのイメージでいましたが、これもロシアにはないものですね。。)。海外のイメージで村上春樹作品の業者を捉えなおしたとき、逆に日本語のオリジナル版の捉え方にも変化が生まれて大変興味深いです。

今回「A Wild Haruki Chase」を読み、翻訳というのは人と人との理解を繋ぐため、とても教養と共感力を要する創造性の高い作業であることを感じます。また、その過程で、味わい深い日本語の曖昧さ、ルーズさにも触れることができます。自分の理解を翻訳者や解説者など他人目線から捉え直すのはメタ認知を高めるのにも有用かもしれません。

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