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【電気湯伝記#01】 アケオメ (24/01/13)

初めまして。もしくは、いつもお世話になっております。電気湯四代目の大久保勝仁です。(祖母からは「お前は3代目だ」と呼ばれているのですが、父や母にも公私共に手助けしてもらっているので、すっ飛ばしてしまうのはなんだかなぁと思い、僕は4代目を名乗ることにしました。すまねえなおばあちゃん)2019年の11月、前任の田中さん(僕にとっての師匠)から引き継ぎをし、新しく生まれ変わろうとするこの場所を、僕を含む電気湯メンバーが「中の人」目線で徒然なるままに綴っていこうと思います。とは言いつつ、ついでからもう3年ほど経ってしまいました。

いま、銭湯ってどうなん?(すごい大体)

銭湯といえば、斜陽産業でありつつも、最近では「若者が銭湯を盛り上げる」というような取り上げ方をされ、銭湯を舞台にしたドラマや映画なんかも(ドラマはあったかどうか覚えていないです、あったと思う)公開され、最近ではかの有名なコーヒーのCMの舞台にもなっていたり、改修·新築する銭湯や温浴施設が増えたり、ご近所の黄金湯さんはブルワリーをおっ立てたり(マジすごい)、表参道のど真ん中に小杉湯さんが2号店を作っていたりと(メッチャすごい)、一見盛り上がりつつあるようにも見える銭湯ですが、後継者不在や設備の更新にかかる資金などなどで閉業してしまう銭湯も多くあります。

まあ後継者不足というのはよく聞く話で、4年前の僕はてっきり親族が誰もやる気がないんだろう程度の問題であると感じていたために「なんやねん」みたいにちょっとだけ憤っていたわけですが、やはり「運良く代替わりのタイミングで親族の中に後継者がいる/もしくは継業できる関係性のある方がいて、実際にその人に継業の意思がある」かつ「その銭湯が継ぐ前も継いだ後も滞りなく経営していける状態である」という条件が揃っているのはほぼ奇跡に近いのだろうということも最近分かってきました。

銭湯が併設された家で生まれ育った僕にとって、銭湯がまちにあるということは、特別なことでもなく、面白いことでもなく、家の前に停まっている自転車のせいで家から出られなくなったり、家の窓からタバコの煙が入ってきたり、なんだか特にいいこともなかったわけですが、ただひたすら「身近に銭湯がある」ということは幼少期から僕の日常の風景でした。

銭湯をつぐまで

僕は銭湯を継ぐ前、(フラフラと無責任にも色々なプロジェクトに関わらせていただいていたのですが、主に)あらゆる社会集団が国連の意思決定に参画できるような制度を形作る仕事を、国連関連機関のほんの端っこの部署でしていました。こういったスケールの大きい仕事をこなしていく日々はとても刺激的で、まるで自分がこの世界の中でとても重要な人物にでもなった気にさせられましたが、当たり前のように僕は「重要な人物」みたいな能力(もしそういうものがあるとすれば)を備えていないので、続けていくうちにだんだんと「天才のふりをして働いている」みたいな気分になっていきました。

その2018年末、親族が集まるご飯会にて、祖母から「そろそろ銭湯をやめようと思う」という話を聞きました。正確には「銭湯をやめる」ということは明言していなかった気がしますが、「銭湯がなくなってここにマンションが建つんだ」みたいな認識はどこかの段階で家族の共通のものとなっていた気がします。

電気湯を継いだ理由は三つあります。一つ目は、毎日忙しく働いている親族の中で唯一僕がメチャ暇だったから、二つ目は、これが「一般公衆浴場」と呼ばれる非常に公共性の高い事業である以上、一度始めたからにはできる限り続けていく責務があると思ったから(この言葉はStrangerという映画館をやられていた岡村忠征さんのお言葉をお借りしています。記事はこちら)、三つ目は、一つ目と二つ目の前提を踏まえて、こういった公共性の高い事業を「家業」として持つ一族に生まれた身として、その「家業」を継がないということは、自分が享受してきた世界に対して恩返しをしない不届き者になると思ったから、です。

なので、僕はもともと銭湯が特別好きだったわけでもないし、「将来は銭湯をやるぞ!」と鼻息荒くしていたわけではありません。むしろ「継ぐ」と宣言したはいいものの、どうしていいかわからず、呆然と1年間を無為に過ごしてしました。
(誤解を与えてしまいそうなのでちょっとだけ弁明ですが、今は銭湯が大好きだし、一生この仕事をやっていきたいとすら思っています。)

誰にも教わることができず、当時一生懸命店主をやっていた方にどうやって「僕が継ぐことになった」と伝えればいいかもわからず、まるでとてつもなく分厚くて難解な本をいきなり渡され「明日までにこれ読んできて」と言われたかのような気分でした。

あれから早4年。「店じまいしようと思う」と言った祖母をようやくの思いで説得し、友人たちに協力してもらって銭湯を継いだはいいものの、自分のお店を持つことなんて考えたことがなかった僕にとって、「自分が胸を張れるお店にする」ということの困難さは想像を絶しました。

ひとつひとつ嫌いな部分を潰し続けて4年が経った今ですら、自分のお店なのに大嫌いな部分がいくつもあります。さまざまな媒体に掲載していただく際に「このお店のおすすめポイントはなんですか?」と聞かれて、答えに窮することが多く、非常にみっともない思いをします。(今ゆっくりと考えてみれば、ただっ広い素敵な空間と、たのもしい常連さんの江戸っぽさ、メンバーの朗らかさ、最高のご近所さん、などなど挙げればキリがないです。)

4年間、必死に電気湯を続けてきた今では、自分の目指す社会に向けて、銭湯ができることを(少しずつですが)分かってきた気がします。

副店長に「週一ノートを書いてください」と言われて始める「電気湯伝記」。(この名前も副店長がつけてくれました。)
次回は、結局なんで銭湯が必要だと思ったかについてでもボソボソ書いていこうかな~と思っています。どうぞよろしく。

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