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生きる遠慮

ふと、本棚に置いてあった本に貼り付けていた付箋をたどってみました。
すると、そのページにはこんなくだりが。

初鴉(ハツガラス)「生きるに遠慮がいるものか」
・・・
実は、カラスは季語の中に入っていない。というのも、この鳥は一年中どこにでもいるので、季語にしてもらえないのだ。それでも、年の初めのおめでたい日だけ格上げされて季語として扱ってもらえる。
・・・
厄介者扱いされることの多いカラスが、季語として扱ってもらえる一年の第一声。この句は、そんな一鳴きを<生きるに遠慮が要るものか>という日本語(人間語)に翻訳しているわけだ。

「まとまらない言葉を生きる」荒井裕樹著

普段傍若無人にゴミを食い荒らすカラス。
そんなやっかいもののようなカラスが「遠慮がいるものか」というあたり、皮肉のような滑稽な表現のように見えるかもしれません。

しかし、作者は違う見方で見ています。

ところで、この<生きるに遠慮が要るものか>というフレーズに、ぼくは言いようのない重みを感じてしまう。というのも、この表現は、生きることに遠慮を強いられた経験がなければ思いつかないものだからだ。

「まとまらない言葉を生きる」荒井裕樹著

遠慮を強いられる

研究者の頃、結果の出なかった時期がありました。
私としては、あの辛い時期があったからこそ今は何があってもある程度前向きでいられるのですが、結果が3年間でなかった時期は本当に参っていました。

わざと空元気を出してみたり、次につながるような結果が出ているように見せたり。

でもその周りでは次々と結果を出す同僚がいて、とても盛り上がっていました。組織の仕事はその同僚を中心に周り、自分の仕事は後回しにされました。「忙しいから無理」と相談にのってもらえないこともありました。

カラスが季語に入っていないように、私は世界になじめておらず、肩身の狭い思いをしていました。失敗したダメな人間は自分で何とかするしかない。

後に素直にうまくいってないことを認め、うまくいっている人たちの素晴らしいスキルに敬意を示し、頭を下げて一緒に仕事をさせていただくことで乗り越えました。

でも、今考えるともっとサポートある組織であればもっと早くに乗り越えられたのではないかと思うのです。

結果が出てないなら出るように手を差し伸べるか、次に向かって背中をおすか、いずれにしてサポートが必要です。
でないと、ずっと本人は結果出ないし、さらにそのせいで病んでしまっていたら。。

遠慮は人を殺しかねない

実は冒頭の句の作者は花田春兆さんという死ぬまで障がい者運動をつらぬいた方のものです。

アジア太平洋戦争がはじまると、ただでさえ肩身の狭い障害者たちは、兵力や労働力になれないということで「人間」として扱われなくなっていく。

「まとまらない言葉を生きる」荒井裕樹著

弱者はたいていマイノリティで大多数の人たちは気持ちはなかなか理解してもらえない。時にはそれで命を損なう人もいる。

作者は、この「マジョリティの他人事感覚」に気の遠くなる思いをしながらも言葉を綴っています。

ことの大小関わらず、深刻な出来事を他人事にしない人でありたいと思うのでした。

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