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感染症はいつも身近にあった。

2020年のとある高校の3者面談で担任の先生から最後に生徒に
『何か質問はありますか?』という問いに対して
『いつになったら楽しかった時の日常に戻りますか。このまま私達は卒業するんですか?』という返答が返ってきたようです。

その場には沈黙がしばらく続き、やがて生徒が大号泣したようです。

高校生に限らず、学生にとってはコロナの影響により授業を受けるために学校に行くという選択ができなくなりました。

当たり前のように学校に行って、先生が黒板に書いた内容を必死にノートに書き写す。

それが、たった1日の間に出された緊急事態宣言により、何日にも続いた日常が崩壊しました。

これにより、大学生はzoomというツールを使ったオンライン授業が行われ、学生の本分である勉強はやがて学校から家へと場所を変えました。

しかし、目的は達成できているのであれば、あの3者面談で涙を流した生徒の説明ができないと僕は思うんです。

勉強は無事継続してできていることから、勉強についての涙ではないと思います。

きっと、涙の要因は余白の時間にあると僕は考えています。

『余白』というのは目的(勉強)を達成するための隙間の時間と今回は定義しておきます。

授業は必ず決まった時間内の中で行われます。
45分だったら45分以内に。
60分だったら60分以内にと。

授業が終わると休み時間というものが設定されています。その間に友達と昨日のドラマの話をしたり、おやつを食べたり、好きな人を目で追ったりとこの隙間時間に私達は心の満足度を満たす様々なイベントが用意されています。

そんな僅かな時間を楽しみに皆は学校に行っているんだと思います。

中学、高校の時を思い返してみると、不思議と休み時間の思い出や部活の思い出ばかり、思い出すことができます。(僕だけかなぁ)

『この授業懐かしいなぁ』『この回のノートまじで書くの大変だった』といった授業に関する思い出は少しはあるものの、余白時間に比べると微々たるものです。

教室という箱は面白いもので感情が伝播します。誰かが悪さすれば先生に怒られて、教室中が重たい空気になります。文化祭の準備などみんなが楽しいという感情を芽生えているときは、自然と学校にいることが居心地が良くなるぐらい明るい気持ちになります。

自分の中の感情は意外と周りの空気に支配されているのです。

この記事を読んでみてください。

感情というものが、伝播していくことが学術的な研究から明らかになっています。

リンクの文章の一部を抜粋すると

幸せな友人が1マイル(1.6キロ)以内に住んでいれば、自分も幸福感を感じる可能性は25%増加。また、同居人が幸せな場合は8%、近くに住む兄弟姉妹の場合は14%、隣人の場合は34%増える。

と書いてあります。

教室内で生徒の誰かが喧嘩したり、不機嫌そうだったり、イレギュラーな条件を除けば基本的に教室はポジティブな空気が流れていると思います。

それは生徒間の楽しいという感情が伝播して、また次の生徒に伝わっているからなんです。

その証拠に授業中になんだか重たい眠たくなる空気が流れるのは、1人、2人とその感情を抱くものが増えて、眠くなるあの雰囲気を体験したことありませんか?

この記事を読んでいる皆さんは色々な環境で頑張っていると思います。

その環境下の空気を良くできるか否かはたった1人の感情から変えることできます。

知らないと無意識のうちに作り出さられていた感情も、知れば当事者になる。

授業の成績に、仕事の成果にすぐには直結しない、人生の隙間時間に人々は価値を感じ、楽しみに生きているのだと僕は思います。

皆さんはいる環境の場の空気はどうなっていますか?

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