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英利アルフィヤ及び河野太郎、茂木敏充は西欧文明を日本国に実現するつもりであるのか?〜意志と文明、そして国民国家への所属〜

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【違和感】

(儒教系統の認識)
英利アルフィヤ及び河野太郎、茂木敏充は西欧文明を日本国に実現するつもりであるように見える。

言い換えると、彼らは日本国を白人みたいにしたいように見える。だから、彼らは多様性というアメリカや欧州的な単語を使用しているように見える。ただ、彼らは
どの文明を実現したいのか、彼らの意志を表現しないので、何もわからない。

一方で、俺は西欧文明でなく、東洋文明を実現したい。俺は東洋文明を日本国に実現するつもりである。このとき、俺は次の疑問を抱く。

俺らは同じ国家に所属しているのだろうか?

もし英利アルフィヤ及び河野太郎、茂木敏充は西欧文明を日本国に実現するつもりであり、俺が東洋文明を日本国に実現するつもりであるならば、俺らは同じ国家に所属していないように感じる。

当然、西欧系統の国家システム「国民国家」では、英利アルフィヤ及び河野太郎、茂木敏充と俺は同じ日本国民であり、日本国に形式的には所属している。しかし、俺と彼らでは、実現したい文明の系統や実現したい社会の系統がそもそも異なっている。

少なくとも、国民国家という国家システムの視点を考慮しないとき、俺は英利アルフィヤ及び河野太郎、茂木敏充と同じ国家に所属していると認識しない。なぜなら、上記でも述べたように、実現したい文明の系統がそもそも異なる。

英利アルフィヤ及び河野太郎、茂木敏充は西欧文明を日本国に実現するつもりであり、俺が東洋文明を日本国に実現するつもりである。

では、俺は所属に関する国家システムをどのように設計するべきであるのだろうか?考えられるのは、善悪の判断の基準、視点が存在する。さらに、俺は所属と意志を次のように提示する。

【所属】

(儒教系統の認識)
任意の国家はx文明の部分集合である。

言い換えると、国家を文明の部分集合化する。例えば、日本国は東洋文明の部分集合である。イギリスは西洋文明の部分集合である。西欧を西洋の下位と仮定すると、イギリスは西欧文明の部分集合である。

(儒教系統の思考規範)
もしある主体がx国に所属するならば、その主体はx文明に所属する。

もしある主体が日本国に所属するならば、その主体は東洋文明に所属する。もしある主体がイギリス国に所属するならば、その主体は西洋文明に所属する。または、もしある主体は東洋文明に所属しないならば、その主体が日本国に所属しない。

この時、俺は英利アルフィヤ及び河野太郎、茂木敏充は西欧文明を日本国に実現するつもりであるを防止することができる。そして、もし彼らが西欧文明をそれでも日本国に実現したいならば、彼らは俺らが所属する国家とは異なる別の国家を作る必要がある。

【意志】

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