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帰化1世議員(候補者)に関する問題点とその解決的な設計について〜英利アルフィヤとババホジャエヴァ・オルズグル〜

以下では、俺は帰化1世議員(候補者)に関する問題点を提示して、帰化に関するシステムを設計する。俺は帰化1世議員を悪いと判断するので、俺はそれに反対する。なお、俺は民主制それ自体に反対するとも言っておく。

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【義務】

(儒教系統の思考規範)
もしある主体が過去における義務を果たしてこなかったならば、その主体は民を統治する正当性を持たない。

例えば、アルフィヤとオルズグルは帰化1世である。彼女らは日本国を防衛する義務を果たしてこなかった。一方、大和民族の日本国民や(併合後の)朝鮮民族の日本国民はそうでない。

アルフィヤとオルズグルは何ら義務を果たしてきていないのに、彼女らは義務を果たしてきた民を統治しようとする。相互性公平性が民と統治者の間に存在しない。

アルフィヤは「中国と戦えるか?」と質問されてきた。この質問は現在から未来に関する質問である。つまり、大和民族は彼女を信用していないので、彼女の信用をこの質問で確認している。

しかし、アルフィヤの問題点は「君は日本国を守る義務を果たしてきたか?」という質問に回答できないことである。この質問は過去から現在に関する質問である。たとえ彼女が上記の信用を実行するとしても、彼女には、信頼がない。なぜなら、彼女には、日本国を守る義務を果たしてきた過去が存在しない。

帰化1世の問題は過去という信頼が存在しないことである。大和民族の日本国民や(併合後の)朝鮮民族の日本国民は彼らの命と人生をかけて、日本国を守ってきた。なぜか、アメリカ大陸におけるアメリカ先住民でなく、白人と戦ってきた。

だからこそ、大和民族の日本国民や(併合後の)朝鮮民族の日本国民は日本国民を統治する正当性を持っている。それに対して、アルフィヤとオルズグルはそうでない。彼女は日本国を守る義務を果たしてきていないのに、彼女は白人と戦った、義務を果たしてきた大和民族を統治しようとしている。

統治の正当性には、過去から現在までの信頼現在から未来への信用両方が必要であるように思える。帰化1世議員に違和感を覚えるのは、信頼が存在しないからである。統治者になりたいならば、義務を果たしてから。この考えはそれほどおかしくないだろう。

【自己形成の場所】

(儒教系統の思考規範)
もしある主体がその自己を非自己の場所で形成したならば、その主体は民を統治する正当性を持たない。

言い換えると、もしある主体がその自己を非日本国で形成したならば、その主体は日本国民を統治する正当性を持たない。例えば、アルフィヤとオルズグル、特にオルズグルは彼女の自己をウズベキスタンで形成している。そのため、彼女の視点や価値観、そして自己は日本国でなく、ウズベキスタンに存在する。

これは逆に考えるとわかりやすい。例えば、ある大和民族が成人するまで日本国で育ったと仮定する。この時、たとえその大和民族がナイジェリア国民になるとしても、その大和民族の視点や価値観はナイジェリアでない。なぜなら、その大和民族は彼自身の自己を日本国で形成している。

宗教の例えでは、もしある主体がその宗教的な自己を成人するまでユダヤ教で形成してきたならば、たとえその主体が仏教に改宗するとしても、その主体は仏教の寺院の管理者や統治者になるのは宗教的に正当でないだろう。仏教の寺院の管理者や統治者になるためには、その主体の自己が仏教で形成されている必要がある。

アルフィヤとオルズグル、特にオルズグルは彼女らの自己を日本国では形成していない。だから、彼女らにとって、日本国は非自己である。そして、彼女らはその非自己を統治しようとしている。帰化1世を認めると、このような状態が生じる。

アルフィヤは彼女の自己を国際的な何かや西欧白人で形成しているように見える。オルズグルは彼女の自己をウズベキスタンで形成しているように見える。だからこそ、彼女らは多様性を掲げて、非自己である日本国を彼女らの自己のように変えようとしているように見える。

アルフィヤとオルズグルは彼女らの非自己である日本国を自分色に変えようとしている。一方で、大和民族は彼らの自己を日本国で形成しているので、彼らは自己を保護しようとする。そして、彼らはアルフィヤとオルズグルの自己を非自己と認識している。

【機会】

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