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【論理】認識論理について【思考規律】

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1.背景

儒教系統の認識
 (1)一般的には、論理は事実から事実を導く。

例えば、もし植物が存在するならば、水がどこかに存在する。これは「植物が存在する」という事実から、「水が存在する」という事実を導いている。

論理を人間の脳の運動の規律と考える。このとき、俺はこの規律を論理、事実論理と便宜的に呼ぶ。

2.認識論理(認識規律)

儒教系統の認識
 (1)認識論理は思考規律である、かつその規律はある認識を事実から導く。

例えば、もしある主体が自己の宗教を表現しないならば、その主体は知的に不誠実である。これが認識に関する思考の規律である。

「ある主体が自己の宗教を表現しない」は事実である。それに対して、「その主体は知的に不誠実である」は事実よりもある主体の認識に依存する。

ある人間はその事実を不誠実と認識しないかもしれない。しかし、別の主体はその行為を非常に知的不誠実と認識するかもしれない。

この論理を拡もし張すると、次が得られる。

儒教系統の思考規律
 (1)もしある主体が自己の文明を表現しないならば、その主体は知的に不誠実である。
 (2)もしある主体が自己の人種を表現しないならば、その主体は知的に不誠実である。
 (3)もしある主体が自己の民族を表現しないならば、その主体は知的に不誠実である。

自己の宗教や自己の文明、自己の民族や自己の人種を表現しないことが知的に不誠実であるのかは宗教や文明や人種に依存する。そして、それが正しいのかは自然界には存在しない。

そこで、俺は上記の事実からある認識を導き、事実に対する認識を思考規律で定める。

3.儒教における認識論理(認識規律)

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