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神(創造主)は存在するのか?〜コーカサス人種系統の思考〜

一般的に、コーカサス人種は創造主を信仰してきた。大和民族を含むモンゴロイド人種がアインシュタインやニュートンのような天才が創造主を信仰していたのを見ると、彼らは不思議に思う。彼らは「なぜ彼らは天才なのに、神を信仰したのか」と疑問に思う。

以下では、筆者はなぜコーカサス人種は創造主を信仰するのかを雰囲気で提示するつもりである。個人的には、彼はコーカサス人種系統の独特な思考が創造主を彼らに進行させるように思える。なお、下記の「ある」と「任意」はデタラメである。

1章 創造に関する思考規範

【小まとめ】
(1)ある対象が存在する→その対象の創造者が存在する。
(2)ある対象が存在する→でも、その対象の創造者が存在しない。
(3)ある主体がある対象を把握することができない→その対象は存在しない。

思考規範

1.1【コーカサス人種系統の思考規範】
もしある対象が存在するならば、その対象の創造者が存在する。

例えば、ギリシア建築には、その創造者が存在する。都市ウルには、その創造者が存在する。国家にも、その創造者が存在する。筆者が使用する電計にも、その創造者が存在する。言語にも文字にも、それらの創造者が存在する。このように、何かが存在するとき、その何かを作った何かも存在する。

この時、コーカサス人種はこの思考規範「もしある対象が存在するならば、その対象の創造者が存在する。」を経験的に創造する。彼らが水をある対象に代入すると、水の創造者が導かれる。彼らは名前をその創造者に与えただろう。同様に、彼らは火や天空の創造者を導いていったかもしれない。

コーカサス人種が自然界やこの世界を上記の思考規範に代入するとき、思考規範「もしある自然界が存在するならば、その自然界の創造者が存在する。」が得られる。自然界は存在するので、彼らは「その自然界の創造者が存在する。」を導く。このようにして、コーカサス人種は創造主を信仰するかもしれない。

思考規範2

1.2【上記の否定】
ある対象が存在する、かつその対象の創造者が存在しない。

これは上記の否定である。そして、この思考規範はより経験的である。例えば、誰も水や天空や太陽を創造した主体を把握することができない。

だから、彼らがそれらの創造主は存在しないと信仰することは自然である。この時、彼らは次の思考規範を提示することができるかもしれない。

思考規範3

1.3?系統の思考規範
もしある主体がある対象を把握することができないならば、その対象は存在しない。

「把握する」は非常に広義な意味を持つ脳の運動と仮定する。例えば、彼が太陽の創造主を代入すると、「もしある主体が太陽の創造主を把握することができないならば、太陽の創造主は存在しない。」が存在する。

現状では、彼はある主体が太陽の創造主を把握することができないので、彼は「太陽の創造主は存在しない。」を導く。ただし、筆者は1.1と1.2のどちらも証明することができない。そのため、彼はどちらを実際と認識するのか、または考える必要がある。

この時、どちらの思考規範を実際と認識するのかという問題が生じる。そして、この問題は人間の認識や考え(信仰)に深く関係するように思える。

思考規範4

1.4【?系統の思考規範】
もしある対象が存在する、かつある主体がその対象の創造者を把握することができないならば、その対象は自然に発生する。

もしある対象が存在する、かつある主体がその対象の創造者を把握することができないならば、その対象は自然に発生する。これを使用すると、1.3により、自然界が自然に発生したことを導くことができる(かも)。

ただ、上記の思考規範が実際であると言えるのかは非常に不明瞭であるように思える。個人的な認識では、ある主体が1.1を信仰することも1.4を正しいと感じることもそれほどの違いは存在しないように思える。筆者が言えるのは、現時点ではよくわからないである。ただし、創造主や人格神が存在するとは断言されない。

個人的には、「その対象は自然に発生する。」が全く新しい別の何かに置き換えられると大変面白いと感じる。もしある対象は創造されてもいない、自然にも発生していなかったら、面白い。

2章 コーカサス人種系統の思考

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