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吉峯耕平(@kyoshimine)と堀口英利(@Hidetoshi_H_)に関する会話に思うこと〜制度の濫用か?〜

堀口英利が600件の開示を申し立てているらしい。それに対して、吉峯耕平は上記のように述べた。俺は堀口の行為だけでなく、吉峯が弁護士であることを考慮すると、吉峯の発言にも違和感を覚える。以下では、俺は吉峯の発言に関する問題点を提示する。

#堀口英利
#吉峯耕平
#英利アルフィヤ


【問題点】

(儒教系統の認識)
大和民族の法律関係者はまともな法システムを形成することができない。

吉峯は堀口英利に対して制度の濫用と述べた。しかし、これは大和民族の法律関係者(統治者、弁護士、裁判官、検察、その他)がちゃんとした法システムを形成でいないことに問題がある。堀口という"個人"を叩いたり、彼に苦言を呈するのは問題である。

個人が短期間に600件も開示を申し立てることができる制度(システム)に問題があるのと考えた方が良い。また、堀口の行為に対する違和感が宗教や善悪に関係するならば、それは法律の問題でなく、宗教の問題である可能性もある。

上記は英利アルフィヤの帰化1世の立候補の話にも言える。もしある主体が帰化1世の立候補を悪いと判断するならば、その主体はそれを禁じるシステムを作るべきである。しかし、現実はそうでなく、アルフィヤという個人をひたすら叩くだけである。

現在でも、誰も帰化1世の立候補を禁じるシステムを作ろうとしていない。大和民族はアルフィヤを叩くだけ叩いて、スッキリして終わっている。おそらく、堀口に関しても同様であり、苦言を呈して、やめてもらおうとするだけである。たとえ彼が訴えを引き下げるとしても、大和民族の法律関係者はまともな法システムを形成しようとしない。

【問題点】

(儒教系統の認識)
大和民族の法律関係者は非言語的な個人の善意に依存しすぎる。

大和民族の法律関係者はまともな法システムを形成せず、大和民族の法律関係者は非言語的な個人の善意に依存しすぎる。または、「お前、…わかってるよな!?」のような空気や雰囲気に依存しすぎる。そのため、空気を読まない人物が登場すると、彼らは対応できなくなって、どうしようもなくなる。

外部から見ると、制度設計の未熟さを大和民族の善意や大人しさで誤魔化しているように見える。言い換えると、大和民族の法律関係者は善意や大人しさに甘えているが、彼らはその甘えを自己認識していない。

大和民族の法律関係者は、何か問題人物が発生すると、彼らはその人物を叩いたり、真理を主張してやめさせようとしたり、正しく批判したり、苦言を呈したり、人物を説得しようとしたりする。しかし、彼らは制度を作ろうとしない。彼らは善意に甘えているので、善意が通じない相手には無力になってしまう。なお、この善意は呪術や霊言、テレパシーと言っても良い。

同様に、上記の話はアルフィヤの立候補にも言える。大和民族は善良な帰化1世が空気を読んで、日本国の統治者に立候補しないことに甘えてきた。本来であれば、彼らはきちんとした制度設計をするべきであった。

【問題点】

(儒教系統の認識)
大和民族の法律関係者は統治が何であるのかを認識していない。

大和民族の法律関係者は法律を独裁者の暴走を防止するためにあると思っているように見える。しかし、一般人の視点では、法律は民を含む国家システムの"統治"のためにある。大和民族の法律関係者は統治が何であるのかをわかっていないので、彼らを法システムに関係させると、統治者による統治を妨害しすぎて、法システムが民を統治できなくなる。

大和民族の法律関係者は法治主義や法の支配という単語をしようするが、統治が何であるのかをいまいちわかっていないように見える。だから、一般人から見ると、彼らは本当に法律を理解しているのだろうかと疑問に思う。

上記の代表的な例が学校である。学校の教師も政府は学校に口を出すなと言って、統治を拒絶しようとする。その結果、彼らは痴漢や強姦や学級崩壊を発生させるとしても、彼らは警察の介入を防止して、学校内で隠蔽しようとする。生徒の視点から見ると、統治が実行されない、まさに無統治な世界(無政府/アナーキー)である。

上記を見ると、日本国の統治は学校の内部まで及んでいないように見える。しかし、大和民族の弁護士の一部は上記のような状態を「政府は学校に介入するな」や「学問の自由」や「大学の自治」と言って、好意的に見ているように思える。

【問題点】

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