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位置なし(位置盲)と善悪の判断〜俺ら(katotoorera)の政治信条〜

 以下では、俺は位置なし(位置盲)と善悪の判断について述べるつもりである。

画像:https://unsplash.com/photos/cg3Sj8G8FyA

位置なし(位置盲)

 俺の儒教系統の思考の規範1.1 位置なし(位置盲)はホモ・サピエンスである、かつそれは位置を認識しない。

 位置なし(位置盲)はホモ・サピエンスである、かつそれは位置を認識しない。正確には、位置なしはホモ・サピエンスである、かつそれは位置を認識する能力を持たない。

例えば、西欧白人は位置なしである。なぜなら、彼らは位置を考慮して、彼らは思考できない。だからこそ、彼らは彼ら自身がアメリカ大陸で王様のように生活していることの異常性や不自然さを認識できない。彼らはそこからモンゴロイド人種に説教することの異常性や不自然さを認識することができない。

位置なしと善悪の判断

 俺の儒教系統の思考の規範2.1 もしある主体が位置なしであるならば、その主体は位置に関する善悪の判断を下さない。

 もしある主体が位置なしであるならば、その主体は位置に関する善悪の判断を下さない。口語的には、もしある主体が位置それ自体を認識することができないならば、その主体は位置に関する善悪の判断を下すことができない。

 俺の儒教系統の思考の規範2.2 もしある主体が位置なしであるならば、その主体は位置に関する善悪の判断(判決)を下す能力を持っていない。

  もしある主体が位置なしであるならば、その主体は位置に関する善悪の判断(判決)を下す能力を持っていない。もしある主体が位置なしであるならば、その主体は位置に関する善悪の判断(判決)に関係しない。

ある場合では、もしある裁判官が位置なしであるならば、その裁判官は位置に関する善悪の判断(判決)に関係することができない。

具体例

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