見出し画像

英利アルフィヤは大和民族という民族をどの宗教系統の言葉で統治するのか?〜言葉と宗教〜

下記は言葉と宗教、言葉と統治に関する話である。アブラハムの宗教では、神の言葉が登場するが、この種の感覚は現代にも通じるように思える。大和民族は言葉の系統性が統治に関係することを認識していないように見える。彼らは言語や言葉を軽視しすぎる。

#英利アブライティ
#英利アルフィヤ
#多様性を考える
#自己紹介
#河野太郎
#えりアルフィヤ
#たかまつなな
#茂木敏充

【問題点】

(儒教系統の認識)
日本国の統治者は大和民族の日本国民をどの宗教系統の言葉で統治しているのかが不明である。

言い換えると、彼らの言葉はどの宗教系統の言葉であるのかが不明である。彼らはヤハウェ系統の言葉を話しているのか、アッラー系統の言葉を話しているのか、彼らはブッタ系統の言葉を話しているのかが不明である。

上記に対して、彼らは「俺は俺の言葉を話している。」と返答するかもしれない。けれども、もし彼らが彼らの言葉を彼ら自身で正当化することができないならば、誰もその言葉を聞かないだろう。誰もその言葉に従わないだろう。

一般的には、他人を統治するためには、正当化された言葉が必要である。だからこそ、宗教が必要になってくる。なぜなら、ヤハウェの言葉の善性は宗教的に正当化されている。もしある統治者がイスラム教徒を統治したいならば、彼らはアッラー系統の言葉を話す必要がある。

【英利アルフィヤの言葉の系統性】

(儒教系統の思考規範)
もし英利アルフィヤの言葉が何の正当性も持たないならば、その言葉は誰も統治しない。

なぜなら、その時、彼女の言葉は正当性を持たない。当然、この状態は大和民族の統治者へと一般化される。実際、大和民族の日本国民は統治者にちゃんと従わない一方で、彼らは行政や軍人(の行為)をより信頼しているように思える。

例えば、たとえ英利アルフィヤが夫婦別姓を実現しようとしても、もし彼女が書く、または話す言葉がイエス・キリスト系統の言葉やアッラー系統の言葉であるならば、その時、大和民族はそれらの種の系統の言葉を聞こうとしない、それらの言葉に従うつもりはない。

なぜなら、大和民族はキリスト教徒やイスラム教徒でない。彼らは神道を民族宗教として、仏教徒や儒教徒である。彼らはブッタや孔子の言葉には従うが、彼らはイエス・キリスト系統の言葉やアッラー系統の言葉には従わない。この時、英利アルフィヤは大和民族を彼女の言葉で統治できない。

【なぜヤハウェは話したか?】

ここから先は

572字

¥ 300

社会システムの設計に関する寄付は「ここから」。 君の寄付をありがとう!とても嬉しい!