見出し画像

リアル脱出ゲームができるまで

この16年の間に、リアル脱出ゲームを思いついた時のことを何度も何度も聞かれた。
「なぜ思いつくことができたのですか?」と。
なぜなんだろう。
自分でもわからない。

思いついた瞬間のことはもちろん覚えている。

その日は2007年5月の中旬。フリーペーパーSCRAPの編集会議で、32歳の僕と学生のスタッフが4人くらいいた。間借りしていたぼろぼろの部屋だった。
その時僕らはフリーペーパーのためになにかイベントを作ろうとしていて、特に良いアイデアが出なかった僕は苦し紛れに目の前に座っていたスタッフに「なんか最近面白いことあった?」と聞いたのだ。

彼女は答えた。
「私最近ネットの脱出ゲームにはまってて、昨日徹夜しちゃいました」
僕は反射的にそれに応えた。
「じゃあそれをリアルでやってみたらいいか!」
会議はざわめいた。
たしかにおもしろそうではあるけれど、そんなことできるのか?

「一体どうやって作ればいいんですかね?」とスタッフの男の子がやや不安そうに言った。
せっかくの興奮に水を差して申し訳ありませんといった体で。
しばらく考えて、僕は答えた。
「そんなの簡単や。ウェブの脱出ゲームを参考にすればいいだけなんだから」
もう正解がネット上にあるゲームを今から僕らは作るのだ。
ただそれをリアルにするだけの簡単なお仕事だ。
それなら出来そうな気がする!
興奮は渦のように僕らを包んでいった。
テーブルの真ん中あたりから、奇妙な顔つきの龍がゆっくりと立ち上るのが見えた気がした。

**********************

その数週間後に第1回リアル脱出ゲームが開催された。
2007年7月7日。7並びの日。
今からちょうど16年前。
やけに暑い日だった。
京都のインスピブロというギャラリーを2部屋借りて作った。

一つは文系部屋。一つは理系部屋。
文系部屋では漢字のパズルやクロスワードパズルのカギが隠されていた。
主に言語を使った謎がたくさんあった。
理系の部屋は数字を使った問題が隠されていた。
〇+□×△=???
みたいな数式があり、部屋を探索すると「〇=32」とか書かれた紙が見つかる。
電気を消すと蓄光塗料で文字が浮かぶ仕掛けもあった。

当日は100人程度のお客さんがいた。
そのお客さんは全員待機部屋と呼ばれる同じ部屋に通される。
ここが一番広い部屋。全員がそこで自分たちの番が来るのを待つ。
待っている間は設置されているパズルで遊んだりおいしいカレーを食べたりできる。ちなみにこの時そのカレーを作っていたのは僕の母と叔母でした。
世界一のカレーライスが作れる最高のカレーユニット。

その100人を7人1チームに分けて、全部で14チーム作った。
そのチームをさらに二つに分けて、7チームが文系部屋、もう半分の7チームが理系部屋で遊んでもらう。
1チームがプレイしている間は、残りの6チームは待機部屋でパズルをしたりカレーを食べたりする。
さあゲームスタートだ。簡単な注意事項の後ゲームが始まる。

持ち時間はたったの8分。
リアルの空間で紙切れに書かれたヒントを探すのはなかなか難しい。
本の隙間。棚の後ろ。じゅうたんの裏。天井の隅。
そんなところまで探すのかというような場所まで狂人のように興奮した参加者は探そうとする。基本的にはスタッフは声をかけないというルールにしていたので、熱狂して暴走し始めたお客さんたちはとんでもないところまで探し始めた。
しかし不思議なことにどのチームも最後の一枚の紙を見つけられずに制限時間を終えていく。
「ハイ終了です」と告げるととてつもなく悔しそうな顔で肩を落として部屋を出ていく。

でもそこには怒りはなかった。
悔しさはあったがそれよりも「もっともっと遊んでいたい」という子供みたいなワクワク感の残響があった。全チーム自分の部屋をプレイし終えた。

今から後半戦がはじまる。文系部屋を遊んだチームは理系部屋を遊ぶ。
理系部屋を遊んだチームは文系部屋を遊ぶ。
あまりにもどこのチームも成功しなさそうだった。
どのチームもまだ脱出成功には遠い。
焦った僕はその場で解決策を絞り出し、会場に向かって叫んだ。

「今から後半戦です!文系の部屋を遊んだチームは理系の人たちに、理系の部屋を遊んだチームの人たちは文系の人たちに情報共有してもよいです!自分たちがもっている情報を教えて、その代わり自分たちが次に遊ぶ部屋の情報をもらってください!」
次の瞬間会場が爆発した。

怒号のような叫び声が会場の中で炸裂していた。
みんながみんな自分の持っている情報を叫びはじめ、相手の持っている情報を欲しがった。
会場が一つの荒れ狂う龍のようにうねりだした。
あれこそが「龍が出た夜」だ。
あの時初めてイベントの空気が躍動する瞬間を見た気がする。

そして、後半戦がはじまった。
先ほど文系部屋を遊んだチームは理系部屋に、理系部屋を遊んだチームは文系部屋に挑戦する。
後半戦最初のチームが探索を始める。
前半よりもさらにアグレッシブに探索をする。部屋の様子は聞いてある程度分かっている。託された情報があるからかなり早くヒントを見つけることができる。

しかしそれでもどうしても足りない。
脱出成功に至る情報がまだあと三つほど足りない状態で時間が終了になる。
僕はまたもや焦った。
これは成功チームが出ないまま終わってしまうんじゃないか。

だから、後半戦の最初のチームが失敗したときに会場にいる人たち全員に言った。
「自分たちが見てきたものを他のチームの人たちに共有してもよいです!」
今自分がプレイした部屋の情報を後ろの人たちに伝えてもよい!
このルールによって、自分たちの失敗が無駄ではなくなった。
また熱狂がはじまる。

次のチームは必死に情報を聞く。その次のチームも当然聞き耳を立てる。
前半戦に挑戦したチームがその情報を補足するために言葉を挟む。
すでにこのリアル脱出ゲームは「どのチームが脱出に成功するか?」というゲームではなく、この会場にいるすべての人たちで協力して謎を解き脱出するゲームになっていた。会場はものすごい熱狂に包まれていた。

後半戦2番目のチームがチャレンジする。
しかし制限時間が終わる。
そのチームが出てくると次のチームが取り囲む。
どうだった?新しい情報見つけた?
新しく見つかった情報はすぐさま共有され、会場中の人たちが知ることになる。

3番目のチームが部屋に入る。
固唾をのんで待っている人たちは時間が過ぎるのを待つ。だめだ失敗。
しかし3番目のチームはついに残された二つの情報のうち一つを見つけた!
あと一つの情報があれば脱出できるはず。

4番目のチームのチャレンジ。だめ。失敗。
しかし4番目のチームは「ここにはなにもなかった」という情報を提供し始めた。そうだ。「ない」という情報も重要になる。その場所を次のチームは探す必要がないからだ。そして「ここは探していない」という情報も提供できる。
失敗したという情報が積み重なって新たな可能性を示し始める。
そうだ。もうこの場所では失敗はただの失敗ではない。
それはとてつもなく意味のある失敗だ。
成功に向かって会場は動き始めていた。

5番目のチームも必死で探索を始めた。しかし、失敗する。
5番目のチームもいくつかの情報を持って帰ってくる。
じゅうたんをすべてめくったけれど何もなかった。
あと残っているのは上だ。上を探すんだ。
残すところあと2チームしか残っていない。
この2チームが失敗したら今回のリアル脱出ゲームは成功者なしということになる。

6番目のチームが文系部屋に入る。
祈るように6番目のチームの背中を全員が見守る。
「頑張ってくれよ」と声が飛ぶ。
「ああ」とやや緊張した面持ちで6番目のチームが応える。
まるで映画のようなシーンだった。
扉が閉まる。制限時間は8分。
待機部屋のお客さんたちは時計を見つめながら、また自分たちの記憶をたどり少しでもヒントがなかったかを語り始める。

祈るような時間が流れる。もう会場は奇妙な静寂に包まれている。
その静寂は狂騒と同じ意味だった。
6分ほど経過した頃、叫び声と共に扉が開いた。

中から興奮した7人がガッツポーズをしながら飛び出てきた。
地上で花火が爆発したようなバチバチとした拍手が鳴り響いた。
叫び声が渦巻いていた。
あれは拍手だったのか。夜空を舞う祝砲だったのか。
全員があらん限りの大声を出していた。すべての声が一つにまとまって、祝祭のはじまりを告げる厳かな宣誓のようだった。

イベント開始から約二時間半。ついに文系部屋の脱出は成功になった。
全員が震えるように興奮していた。
お客さんもスタッフも僕もカレーユニットも。
誰もが、その瞬間の特別さを感じ取っていた。
理系部屋は残念ながら最後まで成功者は出なかった。

イベントが終了した後もたくさんの人たちが帰らず、高い熱を持ったままその場所に残っていた。
イベント会場の人も興奮していて「時間はもういいので、よかったら皆さん飲んでいってください!」といった。その日は午前3時くらいまでスタッフとお客さん合わせて30人くらいで飲んでいた。途中で用意していたビールがなくなったのでお客さんたちとコンビニにビールを買いに行った。

みんながみんなその日に観た「なんらかのすごいもの」について語っていた。
いくらでも話すことができた。話すべきことは無限にあった。
でもまだ「それ」には名前がついていなかった。
僕らは全員興奮していたけれど、なぜ僕らが興奮しているのかはよくわかっていなかった。よくわからないものになぜ興奮したのかをみんなが話していたけれど、結局わからなかった。
すごいものを見たのだけれど、なぜすごいのかは誰も言葉には出来なかった。

だって、そこはただの小さなよくあるギャラリーで、使われていたのはただの紙きれや事務所にあった家具や鍵のかかった箱とかで、すごい技術が使われていたわけでもなければ名の知れた有名人がいたわけでもない。
何もない場所に突然興奮が生まれたのだ。
誰もその正体がなんなのかわからなかった。

僕は泥酔したまま午前4時ごろ家に着きSCRAPのスタッフにメールを書いた。

---------------------------------------------------------

みなさま。お疲れ様。

僕は物語に入っていきたい子供でした。
12歳の時にテレビゲームに出会い、それが僕が知る限り一番物語に入っていける方法でした。
自分の操作で主人公が動き、さまざまなドラマを経験し、成長し、困難を乗り越えていく。
僕はその遊びに出会ったときに狂喜したけれども、たぶん今日見つけた遊びのほうがもっと面白くて刺激的でした。

テレビ画面で謎を解くよりも、本を読みながら謎を解くよりも、身体を動かして謎を解く方が面白いに決まってます。
だって僕が本で読んだ探偵や冒険者たちはきちんとその身体を動かして謎を解いていました。

電気を消したときに暗号が浮かんだ瞬間。
プレステ2の電源を入れたら鍵が出てきた瞬間。
ポルトガルに刺さったピンからポルトガルの本を連想した瞬間。

きっとお客さんの身体には今まで感じたことのない電流が走ったと思います。
僕はその一瞬走った電流こそが生きている意味だと思っています。
それをどれだけたくさん人生の中で積み上げるのかが、生を受けた生き物がやらなくてはならない唯一の目的なのだといまだに信じています。

脱出できない哀しみは、脱出できた喜びと紙一重です。
そこで見つけたささやかなヒントは生き延びるための重大な手がかりです。
僕は常々、僕らが日々コツコツと積み上げているイベントや誌面や言葉がもっともっと広がっていけばこの世から自殺なんてなくなるんじゃないかと思ってる。いや、ほんと思ってるんです。

最初の脱出者が2階から降りてきたとき、会場のすべての人が拍手してました。
僕は体の奥が震えるくらい感動して、その一体感を楽しみました。
あの時間があるならどんなことでもやってやろうと思っちゃうのです。
たしかほんの10時間前までは「もう謎はこりごりだ」と思っていたのだけれど。

僕がやっているのは、子供のころに切望した感情を今によみがえらせる事です。

さて、そしていつもいつもいうことだけど、これからです。
今日はすばらしい一日だったけど、明日になったらもう過去だ。
次の面白いことを動かさなくてはなりません。休むつもりなんて一切ありません。毎日がパーティで、毎日が修羅場なのです。
良い雑誌をつくりましょう。
良いイベントを。
良い本を。
面白いことを思いつき、それを世界があきれるほど誠実に実現させましょう。
僕らにはそれができる。
たぶん次もできるでしょう。

幸せになんかならず、歓喜の瞬間を追いながら、一瞬揺らめいた輝きを現実に落とし込むのです。

今後ともよろしく。
じゃね。

加藤隆生

-------------------------------------------------------------------

このメールを書き終えて、その場で崩れ落ちるようにして眠った。
次の日の昼過ぎに目が覚めた。すごい二日酔いだった。
でも、まだ興奮が残っていた。
さあ、さっそく次のゲームを作ろうと思った。

2007年7月7日。
リアル脱出ゲームが生まれた日はそんなふうだった。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?