無題

う〜ん、、マッタケ

約30年前、高校2年生だったあの日、友人たちと集まってボーリングして、飯食って、友人の家に着いた頃にはクタクタになってて、それでも飲み物やお菓子を買い込んでみんなでワイワイ騒いでいた。

ふと、前日までの部活の疲れも相まって、僕は寝てしまった。寝てたのはホンの僅かな時間だけだっただろう。僕はけたたましい笑い声の中で目を覚ました。

寝ぼけ眼(まなこ)で周りを見ると、友人たちが悶絶うって転がっている。口々に「苦しい、苦しい」って言いながら笑い転げている。

「どうしたの?」かとしん少年は聞く。

腹を抱えてゲラゲラ笑いながら友人は答える。

「お、お、お前、、、」笑いすぎてて言葉が口から出てこない。

「お、お前、今、、膝建てて腰浮かしながら、、、」なんだなんだ?

『う~ん、、マッタケ』って、、」言い終えるとまた笑い転げる。

僕は少しの間何も理解できなかった。できなかったなりに考えると、多分こんな感じのポーズとって

「う~ん、、マッタケ」って言ってしまったようなのだ。

多分

1 で 『う〜ん、、』

2 で 『マッタケ』

だ。
、、、、『ぼっ🔥』

顔から火が出るとはこのことだ。

当時純粋だった僕はその人生の中でMAXに顔が赤くなった。

恥ずかス〜、恥ずかス〜、穴があったら入りたス〜

とよくわからん田舎風の思考で体中が、いや、細胞レベルで恥ずかしかった。

でも、「げほぅっ、げほぅっ」っと救急車呼んだほうがいいかしら?って思うくらい咳き込みながら笑う友人たちを見てたら、なんだか僕までおもしろっくって、嬉しくなって、幸せな気分になったんだ。

学校でも事あるごとに「う〜ん、、マッタケ」ってからかわれたけど、幸いなことに『マッタケ』というあだ名にならなかったから、グレずに今日まで真面目に生きている。

そしてやっぱり「笑う」って言うことは幸せに繋がるんだ。

僕はお笑いの才能がないから、意識がない時に放った一言が渾身の一発ギャグとなってみんなを笑わせ、僕も幸せな気持ちになった。

お笑い芸人の人たちは、みんな誰かに笑ってもらって幸せな気持ちになってほしいと思っている(はず)。

昨日、最近人気の若手芸人の「過去の逮捕歴」のニュースが話題になった。

僕はその方のファンでも無いし、特別擁護するわけでもないけど、今真っ当に、真面目に頑張ってるのなら、その人の暗い過去をほじくるようなことはしなくてもいいんじゃない?って思う。

人間は弱い動物だし、少なからず間違うことはあるでしょ。

過去にしてしまったことは、どうにも変えることができない。そんな過去を悔いて、今乗り越えようと苦しんでがんばっているのであれば、そんな変えられないことをメディアを使ってわざわざ全国に見せしめるのは、僕はとても気分が悪い。

だって、、僕が当事者だったら、絶対潰れる。「頑張ってるのに、頑張ってるのに、なんで?」って。

捉え方なんて人それぞれだから、離れて行く人も留まって応援し続けている人ももちろんいる。でも無関係だった僕らが知らなくてもいい事実が全国展開で明るみになったら、いろんなところで後ろ指刺されるんだろう?

もちろん現在進行で悪いことしている人は明るみにするべきだと思うけど、わざわざ蒸し返すことは、僕は気分が悪いのです。

こういう「この人、昔悪いことしてたんです」ってわざわざ掘り返すの、するのも見るのも嫌なんです。

こういう報道って見るたびにげんなりする。やさしくない。そんな暇があるなら、もっと今悪いことしてる人を追跡しろよって思う。

もちろんやさしい目線で真面目に取り組んでる記者さんもいる。こういう記者さんは本当に応援したい。

やさしさをもって接したい、やさしさをもって接してほしい。最近の日本は、やさしさが足りないと思うことがいっぱいある。

人間は聖人君子じゃない。間違うこともある。間違えない人なんていない。

それが人間の前提だって思えば、もう少しやさしくなれるんじゃないか?

僕も聖人君子じゃない。いっぱい間違える。例えば、暴力だめだって思ってても、家族や自分を守るためなら、暴力を振るってしまうかもしれない。

やさしくしたい、やさしくされたい。

どうか、やさしい国ニッポンでありますように。

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