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西の空に黙とうを。

1月17日。皆さん、何の日かご存じですよね。
25年前の1995年1月17日、阪神・淡路大震災が発生した日です。
この震災で6,434名の方が尊い命をなくされています。

この日は、気づいた時に西の方向に黙とうをする。
僕は愛知県在住なので、タイトルの通り向くのは西になります。

もう25年になるんだね。
四半世紀という長い年月が経っても、僕はあの怖かった経験は忘れることが出来ない。身近な方を失った人たちの中には、まだ心の傷を抱えた方もいらっしゃるだろう。時間が忘れさせてくれることも、くれないこともあるだろう。

僕は大学4年生だった。大阪に住んでいた。
地震が起きた時間はもちろん夢の中。

早朝5時46分。
突然床が抜けて大きく落ちる感覚で目が覚める。
上半身を起こした直後、激しい横揺れが始まる。
長い時間身動きが取れず、ただただ恐怖に身をすくめるしかできない。

当時住んでいた地域は震度4と発表されていたけど、ぼくはあんな震度4を経験したことがない。震度5とか6とかってどうなっちゃうんだろう。

高速道路が倒れ、あちこちで火事が起き、大きなビルが崩れ、がれきの山、けがをしている人。

インターネットがまだ発達していなかった時代、テレビで見た悲惨な光景は、僕の頭と心に「人間は自然の力に全く歯が立たない」ことをはっきりと教えてくれた。

阪神・淡路大震災発生から今日までの25年間で、大小さまざまな災害が発生しているが、やはり最大級といえば 2011年3月11日 東日本大震災だ。
オンタイムで流れる映像では沢山の家が、車が、人が、津波に飲み込まれ、流され犠牲になっていく。
この1万6千人もの命が奪われた大きな地震は、原発事故をも併発させた。

僕がのうのうと生きている中で、いまだに故郷に帰れない人たちがいる。
僕は今まで使うエネルギーは無頓着で、まかりなりにも我が家はオール電化になっているが、僕は予算と技術的な不安から太陽光発電を我が家のエネルギー源にすることを見送ってしまったこと後悔した。

3ヶ月前に書いたこの記事で、僕の思っていることを公開している。
今日思ったことを書いても多分重複してしまうだろうからここには書かないけど、やはり願わくば原発のない社会になるように国が舵を切ってほしい。

75年前に唯一原爆を落とされた国は、その66年後の原発事故で「原子力」の恐ろしさや安全神話が崩壊したことをわかっているはずなのに、核兵器禁止条約に参加しない、いまだに原発を再稼働させようとする今の国のやり方にはとても違和感があり、残念に思う。

僕は個人で何かやっているわけでもなく、唯一選挙があるときは「原発即時廃止」を掲げる政党に表を入れる意思表示くらいしかしていないけど、少しでも早く原発稼働が終わりをつげ、国全体が再生可能エネルギーにシフトしてほしいと思う。



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