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エピソード記憶とブロックチェーン技術:人とAIの協調の要件

脳が過去の出来事を記録する時、エピソード記憶という形で保存すると言われています。

エビソード記憶は、矛盾がないように整合性を保って記憶することに重点を置いており、忘却することは許容しているという特性があります。この理由とメカニズムを、この記事では明らかにしていきます。

また、AIに出来事を記録させる機能を持たせる際の指針についても述べます。AIの場合、人間のエピソード記憶とは異なる仕組みを使った方が効率的です。一方で、人間のエピソード記憶が重視しているように整合性を保つことは重要です。一つのアイデアとして、強固な整合性を確保する手段としてブロックチェーン技術の応用が考えられるでしょう。

では、以下、本文で詳しく見ていきます。

■エピソード記憶の要件:忘却は許容するが、間違いはできるだけなくしたい

私たちは、日々の出来事を記憶しています。こうした時間を伴う情報のことを時系列情報と言います。日々の出来事のような時系列情報は、エピソード記憶という仕組みで記憶されます。

私たちは記憶した出来事を真実だと思っています。自分が直接見聞きしたもの、感じたこと、考えたものが真実であると信じています。もし、そうでなければ、私たちは何をよりどころにして物事を考え、生活し、人とコミュニケーションを取ればよいのでしょうか?

このため、脳のエピソード記憶には、高い信頼性が求められます。私たちの脳は様々なエピソードを忘れてしまいます。忘れることは問題ありません。問題は、間違った記憶をしたり、記憶している間に間違ったものになってしまうことです。

どの部分を忘れるかは、予期できません。例えば、AさんとBさんと自分の3人で遊びに行ったとします。それを全て同時に忘れるのなら大きな問題にはなりません。けれど、Bさんがいたことを忘れてしまうと、Aさんと2人で行った記憶だけになります。これは間違った記憶です。

■エピソード記憶における因果関係の把握と、整合性のチェック

この間違いを防ぐために、エピソード記憶は脳の情報処理の2つの機能を利用します。因果関係の把握と、整合性のチェックです。

出来事には原因と結果があります。ボールがぶつかったから窓が割れた。Aさんが誘ってくれたから遊びに行った。Bさんが撮影してくれたからAさんと二人で写った写真が残っていた。といった具合です。

そして、出来事の記憶を思い出す際に、因果関係の整合性が保たれるかをチェックします。

先ほどの例では、旅行にBさんも一緒に行った事を忘れてしまっていると、Aさんと2人で写っている写真に違和感を覚えるはずです。普段、旅先で他人に写真撮影をお願いする習慣がなければ、2人の他にもう一人同行者がいないとつじつまが合わなくなります。

その結果、例えBさんの事を思い出せなくても、その旅行のメンバーの記憶があいまいになっていることを自覚できます。

加えて、出来事をエビソード記憶で記録する際にも、因果関係の整合性を保つようにする性質が脳にはあります。

例えば、双子の兄弟AさんとBさんがいたとします。ある作業CをAさんが実施するところを目にし、作業DをBさんが実施するところを目にします。しかし、その直後、Bさんにはないはずの腕の傷が目に入ります。それを見たあなたは自分がAさんとBさんを逆に認識していたことに気がつきます。

この時、あなたは、作業CをAさんが実施し、作業DをBさんが実施したという記憶を、補正する必要に迫られます。そして、作業CをBさん、作業DをAさんが実施した、という記憶に更新します。

この例のように、エピソード記憶で記録する際には、因果関係を利用して、記憶が矛盾したままにならないように更新します。

このように私たちの脳のエピソード記憶は、出来事の保存と、出来事を思い出すときの両方で、出来事の記憶に矛盾がないように確認します。出来事の記憶が間違いとならないように努めているのです。

■整合性チェックの必要性

人間の脳が、エピソード記憶の書き込み時と読み込み時に、このように因果関係に基づいた整合性のチェックの仕組みを持つ理由を考えてみます。それは、おそらく、脳の神経細胞の集まりであるニューラルネットが、履歴の記憶に適していないためです。

このことは、エピソード記憶が出来事を忘れてしまう性質に端的に表れています。ニューラルネット自体の仕組みから考えても、時系列にデータを覚えるような機構にはなっていません。柔軟性を担保するために何度も繰り返し体験しないと長期的に記憶を保持できない性質もあります。これは、パターン学習においては上手く機能します。一方でエピソード記憶においては難点になります。

新たにエピソード記憶用のメカニズムを進化によって獲得すればよかったのかもしれません。忘れることのメリットの方が大きかったのかもしれません。いずれにしても、脳はニューラルネットを応用して、信頼性の高いエピソード記憶を実現したのです。その信頼性向上のメカニズムとして、因果関係に基づいた整合性のチェックの仕組みがあるのだと思います。

エピソード記憶が間違った履歴を記録したり再生しないようにしているのは、信頼性の要件を満たすためと私は考えています。これは、もちろん、安全な場所や危険な場所を記憶したり、食料が獲得できる場所や季節を覚えたりしておくという点で生存に取って重要ですが、その場合、記憶を忘れてしまう性質もネックになります。

そう考えると、例え忘れることはあっても、信頼性は損なわないような記憶のメカニズムを採用している理由は、他者とのコミュニケーションのためでしょう。二人が同じ出来事を経験して、一人がそれを覚えており、一人がそれを忘れている場合、情報の補完を行うことができます。これは協力関係を生み出します。

一方で、もし、二人が同じ出来事を経験しておきながら、二人が記憶している出来事に矛盾が生じたら、困りものです。もめごとが発生しますし、協力して補い合う事もできません。これは集団を維持することで生存率を高めるという戦略にとって不都合です。このためエピソード記憶には、忘れることはあっても、矛盾することはできるだけ少なくなるような方式が採用されたのでしょう。

■AIの持つべき出来事の時系列記憶の要件

会話のできるAIが、道具として使われる以上に人間社会の中に浸透していく場合について考えてみましょう。その場合、私たちは人間のエピソード記憶と同じように、AIにも矛盾のない記憶を要求するでしょう。

人間の場合は、時系列の履歴を覚えることが苦手なニューラルネットを使っているため、矛盾を検知する仕組みが設けられていると考えられます。

一方で、AIは無理にニューラルネット上にエピソードを記憶せずとも、通常のコンピュータのログのように出来事を時系列に記憶する方が良いでしょう。

ただし、信頼性という観点では、人間とは違った注意点があります。人間は出来事を忘れるため、矛盾をチェックしなければ記憶に間違いが発生する懸念がありました。一方で、脳は頭蓋骨の中に閉じているため、外部から意図的に記憶を改ざんされる恐れはありません。

AIの場合は、この人間の特性とは異なり、記憶装置を取り外れされたり、インターネット経由でハッキングを受けたりして、エピソードを記憶したログを意図的に変更されてしまう可能性があります。そこで、人間とは異なる理由で、AIのエピソードを記憶したログの信頼性を高める必要があります。

例えば、ブロックチェーン技術を応用する方法が思い浮かびます。他にも、記憶装置の抜き取りやハッキングを受けた際には、記憶を消去してしまうというような対策も考えられます。

■人間のエピソード記憶からの応用

AIが知覚、経験、思考した内容を全てログに記録すると、膨大な記憶容量が必要になってしまいます。大規模なAIから、小型のAIまで、適材適所で様々なAIが利用される未来を想定した場合、記憶容量を節約する技術が必要になります。

データ圧縮や古いデータの削除などの一般的な記憶容量の削減方法もあります。それに加えて、人間のエピソード記憶からも記憶容量削減のアイデアを借りられそうです。

人間のエビソード記憶は、印象に残ったことを強く記憶し、そうでないものは弱く記憶します。また、人間は忘れるだけでなく、そもそも記憶しなくてよいものは覚えないという戦略を取っています。

例えばシャンプーで髪を洗う、玄関のカギを閉める、など日常的にいつも行っている行為は、エピソード記憶に保存されない場合があります。鍵をかけたはずなのに、しばらく経ってから不安になって確認に戻ってしまうのは、このためです。

反対に、日常的でないことが起きると、脳はエピソード記憶にその出来事を記憶します。意外なことが起きたという驚き、初めての事に対する緊張、そうした心の動きは、脳はエピソード記憶を強める合図になっていると考えられます。例えば、玄関の鍵をかけるという日常的な動作の最中でも、ハンカチを落とすというハプニングがあれば、記憶が残るでしょう。

また、記憶している出来事も、実際にエピソード記憶に残っている部分は、断片的な部分です。その断片的な記憶があれば、後で脳が容易に補完できるような情報は、記憶しておく必要がありません。

例えばA地点からB地点を通ってC地点まで歩いて移動した場合を考えてみます。途中で予期しない出来事がない限り、A地点から歩き始めたという記憶と、C地点に到着したという記憶があれば済みます。その間ずっと歩き続けていたことを覚えている必要はありません。

もしも誰かから、B地点をあなたは歩いて通過しましたか、と尋ねられたらどうでしょう。あなたの記憶にはB地点を通過した時の記憶はありませんが、あなたは自分の記憶を組み合わせて、自信を持って「はい、歩いて通過しました」と答えることができるでしょう。

こうした人間のエピソード記憶のテクニックを研究することは、AIの記憶容量の削減に大きく貢献するはずです。

■さいごに

人間のエピソード記憶の観察から、そこにある要件とメカニズムについて整理しました。科学的な裏付けがあるわけではありませんが、自分自身の記憶の仕方の特性と、ニューラルネットワークの性質に照らして、それなりに上手く説明ができているのではないかと思います。

後半は、AIの出来事の記憶の実現方法についての考察を行いました。パターン認識や自然言語処理は人間の脳の神経細胞の仕組みを模したニューラルネットワークが大活躍しています。一方で、出来事の記憶は必ずしも人間のエピソード記憶の仕組みを真似する必要はありません。AIの土台であるコンピュータの特性を考慮して最適な設計を行う方が、理に適っていそうです。

また、AIに長期記憶を持たせるという発想自体は、様々な研究者や技術者がすぐに思いつくはずですし、実際にAIエージェントという形で研究や開発も行われているようです。社会にこうしたAIが溶け込んでいくときには、単に出来事を時系列に記憶するだけでなく、記憶の信頼性が求められるということをこの記事では主張しました。

もちろん、長期記憶を備えたAIの開発や実際の運用は、AI倫理やAI規制の動向を確認して慎重に行われるべきです。一方で長期記憶を備えたAIの研究開発が現在進行形で進んでいることも事実です。

こうした研究開発の結果、ハッキングや記憶の改変などを許してしまうような信頼性の低いAIが普及してしまうようなリスクは避けるべきです。その観点から、AIの長期記憶に対するこの要件は、必須事項になると思います。

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