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■スキルの寓話:読みの達人

読む時間は一瞬だった。空気の揺れ、重心の運び、視線の移動、思考の連なり、そして感情の揺らぎ。ハヤトの作る全ての流れが、今日は手に取るように分かる。

ふわっと羽根のようだった。大きな体が宙に浮いたと思った次の瞬間、上体と腕が同時に畳に打ち付けられ、バシンという重い音が響く。仰向けになったハヤトは息を乱しながら、少し呆気に取られたような表情で僕の顔を見上げていた。

「こういう時代なんだよ」

そう言いながら僕は、ハヤトの顔を覗き込む。自分でもこんなに上手くハヤトに勝てるとは思っていなかったが、それを感づかれないよう、わざとらしい笑顔を作ってみせた。

「納得できん。頭が良くなると、どうして強くなるんだ」

ハヤトのぼやくような言葉を聞き流しながら、道着の乱れを整える。

その瞬間、ハッとした。右足をスッと後ろに引く。直後、ハヤトの左手がそこで空を切る。考える前に反射的に体が動いていた。

「こういうこと。今の僕にはハヤトの動きは全部わかるんだ」

完全に行動を読まれて、またもハヤトは呆然としていた。

「結局、力の強さとか運動神経以前に、僕らは動きを読んで反応してるんだ。コレがあれば、知覚と予測と最適な反応をセットで瞬時に出せるんだから、それだけ元の僕よりも良い動きができるってこと」

僕としてはわかりやすいように噛み砕いて説明したつもりだが、畳に座り込んだハヤトは難しい顔をして頭を振る。

「柔道は力やスピードだけではないのは確かだが、練習や経験も必要なはずだ。素人同然のお前に負けるとは」

耳から取り外したイヤホン型のブレインコネクタを、軽く道着の端で拭いて、ハヤトに渡す。

「この中には、歴代のメダリストを再現したデジタルヒューマンを相手に延べ10億回くらい試合した経験が詰まってるそうだからね」

「理解できん」

ブレインコネクタをつまんで眺めながら、ハヤトは不満そうに口を曲げる。

「とにかく、使ってみてよ。デートの達人シリーズの中から、ユーモアと包容力がある体育会系紳士っていうのがあったから、ハヤトにピッタリだと思って」

ハヤトはますます難しい顔をしたが、先程までの覇気は消えていた。

「アドバイスはありがたいが。正直、こんなの、ズルじゃないのか」

そう言うと思ったよ、という言葉を口にしかけて思い留まる。下手なことを言ってスネられても困る。

「今どきは、多かれ少なかれ、みんな似たような事してるからね。それに、例えばハヤトだってデートの服は、普段より気を遣うだろ?」

「ああ、昨日、言われた通り体型に合う服を店員さんに選んでもらって買ってきた」

ハヤトは、こういうところは素直だ。根が真面目なのだ。

「ま、考え方次第だけど、それと似たようなものだと思ってらどうかな」

「似たようなもの?」

「身だしなみに気をつけるっていうのは、メルさんに良い印象を与えたいってことだし、マナーみたいなものでしょ。それにデートを楽しくする演出みたいな意味もあるかな。そのコネクタも、そういう意味で、デートの演出みたいなものだよ」

「なんかお前に言われると、騙されてるような気がするんだよな」

サラッと悪口を言われたが、軽く受け流す。

「それはどうも。でも騙されていようが何だろうが、目的はメルさんと親密になることだよね? そういう事を差し引いても、彼女を楽しませることが、ハヤトのミッションでしょ。そのために、できる努力や工夫をするのは、良いことだと思うよ」

うー、と唸ってハヤトは腕組みをする。あと一押しか。

「例えば、だよ。あくまで例えばだけど、ハヤトの他にデートに誘っている奴がいて、そいつがこれを使ってたらどうするのさ。さっきみたいに素人だって達人になれるんだよ。ただでさえデートのズブの素人なんだから、勝ち目なくなるよ」

パン、とハヤトは手を打った。

「もし、オレが逆の立場なら、ちょっと嫌かもしれん」

僕は、大きくため息をついて見せた。

「ハヤト、ちゃんと想像した? メルさんが、ハヤトとのデートを楽しくするために、例えばそうだな。デートの天使シリーズの、ちょっと天然ゆるふわ愛され女子、のスキルデータをわざわざ買って着けてきたら、嫌かな?」

質問を投げかけて、少し間を空ける。ハヤトは考え込んでいる。

「そりゃズルしてるって言えなくもないけど、そこまでしてハヤトとのデートを楽しくしようとしてるってことだよね。そのキャラや振る舞いが買ってきたものだとしても、別に。。って、おーい、ハヤト、鼻血出てるよ」

「あ、あぁ。すまん」

ぼーっとしていたハヤトは、慌てて鼻を拭う。鼻血は嘘だが、この想像は、ハヤトには効いたようだった。

「な。着てるものが普段通りかとか、デートの時の振る舞いが本物かどうかとか、そういう事はそんなに大事じゃないんだよ。相手を楽しませたいとか、良い時間にしたいとか、仲良くなって親密になりたいとか、その気持ちが本物かどうかが、大事なんだよ。おしゃれ結構、ズル結構。君と素敵な時間を過ごせるなら、僕はなんだってするよ、っていう姿勢が大事なんじゃないのかな」

「分かった」

急にキッと顔を引き締めて、ハヤトはさっきの柔道の時よりも鋭い、貫くような視線を向けてきた。

「ありがたく使わせてもらう。ただし」

ハヤトはスッと息を吸う。

「明日、メルさんに、これを使うことを伝える」

「えっ、いや。まぁ、そうね。それも別にいいのか。うん、隠してコソコソするのは、確かにハヤトらしくないし。メルさんの意向次第で、ってことか。え、ちょ、なっ!」

喋っている僕の道着にハヤトの手がスッと伸びてきたと思った瞬間、僕は無重力の空間に放り込まれたようにバランスも上下の向きもなく、浮かんでいた。電光石火とはまさにこの事だ。

受け身も取れず、ぎゅっとまぶたを閉めて衝撃に備える。けれど、気がつけばふんわりと背中と足を支えられた感覚があった。

目を開けると、ハヤトのキョトンとした顔がすぐ近くにあった。見上げたハヤトの耳には、コネクタが着けられていた。そして僕は、ハヤトの両腕に抱えられていることに気がついた。

「背負投げを決めたつもりだったんだが」

僕の体をそっと降ろしながら、ハヤトが呟く。僕の方が先に事情が飲み込めた。

「柔道経験者が使うのは流石に、ズルよ。動きが見えなかったし、気がついたら投げられてた」

「ああ、すごいな、これは確かに」

「あと、お姫様抱っこの方は、デートの達人の方の技だね、恐らく」

「なるほど。あれはそっちか。面白いもんだな」

案外に使ってみると受け入れるのが早い。単純な性格なんだよな。僕に反撃できたことが嬉しいのか、明日のデートに希望が見えたためか、満足そうに微笑みながら、ハヤトはシャワー室に向かっていった。

僕の方は、ハヤトがドアを閉めたのを確認してから、道場の角に置いたポーチからスマホを取り出して電話をかける。

あいにく、タイミングが悪かったのか、留守電につながった。手短に、ハヤトにブレインコネクタを持たせたことを報告する。

「デートの小悪魔、でしたっけ、メルさんが買ったスキル。それを使うかどうか迷ってるって話、ハヤトには相談しても良いと思います。でも、メルさんとハヤトなら、コネクタのスキルは使っても使わなくても、大丈夫だと思いますよ。僕からの報告とアドバイスはそんなところです。では、明日は楽しんで来てください!」

電話を切ってから、グッと両手を上に伸ばす。恋愛初心者2人の世話をするのも、なかなか大変だ。恋のキューピッドの達人スキルなんてのも、検索したら出てくるのかな、とふと思った。

でも、そんなものなくても、2人のこの先の展開は、なんとなく読める気がした。

おわり


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