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何が思考しているのか:無意識/意識・理性・直感と感情の交流

◇無意識から意識へのバトンタッチ

慣れ親しんだ状況下では、無意識が、自動的に予測し、自動的に判断し、自動的に行動を決めます。そして、無意識が予測・判断・決定をできない場合、意識が現れます。

◇意識の持つ二つの問題解決手法

意識は、非合理的な方法と、合理的な方法の2つの問題解決方法を持ちます。

諦めで予測を停止し、直感で判断し、感情で決定するのが、非合理的な手法です。

帰納や演繹で予測し、フレームワークで判断し、納得で決定するのが、合理的な手法です。

この、合理的な手法が、狭義の思考だと言えそうです。

◇合理的方法と非合理方法の特性

合理的な手法は、時間・能力・資源を必要とします。例えば、テストの最後の問題が、難問だった場合、時間が足りずに答えが出せないことがあるでしょう。そもそも、知識がなくて解けないかもしれません。コンピュータがあれば解けるのに、テストには持ち込み禁止されているかもしれません。

また、対象が一定の法則を伴っていれば有効ですが、法則が存在しない混沌に対しては歯が立たちません。例えば、よほどのズルをしない限り、どんなに考えても宝くじを当てる方法はないでしょう。

そこで、時間・能力・資源の不足で、合理的な手法が取れない場合には、非合理的な手法を取らざるを得ません。テストの最後の問題は、とりあえず何か答えを書いてしまうというのも戦略です。

また、対象の法則性の度合いが低い場合、つまり混沌に対しては、合理的な手法の意義が薄くなります。このため、非合理的な手法を取る事も選択肢になります。番号選択式の宝くじで、自分のラッキーナンバーを選ぶようなものです。

◇非合理的手法の合理性と、合理的手法の非合理性

与えられた時間・能力・資源、そして対象の混沌の度合いを見極めて、あえて非合理的な手法を選ぶことにも意義はあります。

その場合、予測、判断、決定は非合理的に行うものの、その手前の問題解決手法の選択は合理的に行ったと言えます。

反対に、問題解決手法の選択が非合理的だと問題が起きます。合理的な手法にこだわり、時間・能力・資源の不足で間に合わなくなる恐れがあります。あるいは対象が混沌であれば、時間・能力・資源の無駄遣いに終わるでしょう。

テストの例では、時間切れで後半の問題が空欄になるくらいなら、鉛筆を転がしてでも、占いで見た今日のラッキーナンバーでも、何でもよいから回答欄をすべて埋める方が、点数が取れる可能性は明らかに上がります。

また、宝くじを当てるために過去の当たりくじの統計を取るという一見合理的に見えるアプローチを取っても、徒労に終わるでしょう。

◇脳の構造と、無意識・非合理・合理

あまり脳の働きについて詳しくないのですが、無意識と意識、合理性と、直感や感情について、一般論的なイメージで脳の構造にあてはめて整理していみます。

脳は、進化の初期の古い脳の部分を持っています。小脳などがそれにあたります。そして、この部分が、無意識を司っているとされます。

大脳は進化の後半で発達した新しい部分です。無意識で対処できない時に現れる意識は、大脳の働きに当てはまると考えることができるでしょう。

大脳は、物理的には右脳と左脳に別れています。そして、右脳が創造性、左脳が論理を司るという話も聞きます。これはあくまでイメージとしての話にはなりますので、右脳と左脳は機能で明確に分離されているわけではなく、得意、不得意というくらいでのものだとかんがえられているようです。

仮に、そうしたイメージに従うと、意識の非合理的手法については右脳が得意としていて、主導することになると考えられそうです。そうなると当然、合理的手法は、左脳が得意として主導することになるのでしょう。

もちろん、実際の脳の構造は、ここで述べたほどシンプルな機能分割にはなっていないと思われます。お互いの役割にオーバーラップがあったり、密接な協調動作もしているはずです。また、非合理的手法の中には新しい脳でなく古い脳が大きく担っている可能性もあるでしょう。

とは言え、明確に機能分担されていないとは言え、役割や得意不得意はあるはずです。このため、脳の構造と我々の知的作業の経験的な観測には、何らかの対応関係はあるのだろうと思います。

◇何が、思考しているのか

以上の検討から、何が思考をしているかという疑問に答えるなら、以下のようになると思います。

まず、物質的なハードウェアの側面から捉えると、脳が思考していると言えます。もっと言えば、脳の中でも、意識的かつ合理的手法を取る場面で活性化する部分、ということになります。

先ほどの一般知識を当てはめた場合で言えば、大脳の左脳部分が該当しそうです。

次に、ハードウェアや物質的な観点を離れて、知能というシステムの抽象的な概念から捉えてみます。

その場合、意識が思考をしていると言えます。さらに言えば、意識の中でも合理的な手法を司っている部分、つまり理性にスポットが当たります。合理的な手法を使うことを狭義の思考だとすれば、理性が思考していると言えます。

◇「思考しているもの」の広がり

ただし、ハードウェアとしても、知能システムとしても、思考は特定部分に閉じて行われているわけではありません。

ハードウェアとして脳は、左脳と右脳、小脳が得意分野を活かして密接に連携しています。

狭義の思考を行う時、左脳が主導するとしても全てを担うわけでも、純粋に論理的な思考だけをするのではないはずです。従って、右脳や小脳の機能がとも協調しながら、思考を進めていくと考えられます。

知能システムにおける理性も同様です。純粋な理性だけで思考しているのではなく、直感や感情、無意識の自動予測などとも連携して思考は進んでいきます。

学問や科学の領域では、極力、直感や感情、無意識を排除して客観的な理性だけで思考することが奨励されますが、日常的には、誰しも純粋な理性だけで思考しているわけではないでしょう。学者や研究者ですら、日常的には純粋な理性だけで思考していないからこそ、客観性を維持するための仕組みとしての思考法や論文査読の仕組みや学会といった仕組みがあるとも言えるでしょう。

例えるなら、左脳や理性は、プロジェクトチームのリーダーのようなものです。主導権を握っていても、それ単体で思考をしているのではありません。脳や知能という、チーム全体で、思考しているのです。

さらに広く見れば、まさにチームのように、複数の人で議論したり協働作業をする場合も、同じようにその複数の人の総体として、思考しているという解釈もできそうです。

例えば、リーダーが論理的思考が非常に得意でも、プロジェクトの目標達成には直感や感性が重要であれば、それが得意なチームメンバーを加えてチームとして思考するという事は、イメージとしては言えるでしょう。ここでのポイントは、リーダーの左脳的な部分と、メンバーの右脳的な部分が、物理的な脳としてはもちろんつながってはいませんが、言語や非言語のコミュニケーションレベルでつながっています。このため、それ全体をチームの知能システムとして捉えることは、十分に可能です。

◇さいごに

物理的な構造ではなく、脳の概念的なシステム構造を理解できれば、この概念的なシステム構造に合わせて AI 構造をより効果的に設計できると思います。

私たちの物理的な脳の構造は DNA のランダムな変化に基づいて進化したため、過度に複雑な構造が含まれている可能性があります。 そうであれば、知能システムのメカニズムの本質は、より単純な構造で実現できるはずです。その構造に基づいて人工知能(AI)を設計すれば、よりシンプルで保守可能でスケーラブルなシステムが実現できます。

もし、このシンプル化のアプローチで設計したAIが、私たちの脳とは異なる性質や品質になったとしても、それはこのアプローチの失敗ではありません。むしろ、そうした差異が明確になれば、知能システムの理解を進展させて、より有効な構造へと改善するチャンスとなります。

このアプローチは、単に知能の機能とパフォーマンスの観点から AI を進化させる目的だけでなく、AI の倫理と規制にとっても非常に重要です。

システムの構造について明確な知識がある方が、そのシステムのリスクをしっかりと分析し、効果的かつ合理的な対策が打てるようになります。

現在のAIは、AIの研究者や開発者でさえも、なぜこのような高度な知的作業を行えているのか、そのメカニズムが分かっていないと言われています。AI の倫理と規制の観点からは、こうした状況を乗り越えて、できるだけメカニズムや構造を理解可能な状態に保つ努力も重要になると思います。

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