もしかしたら宿命解説【源頼朝編】⑨
こんにちは。
「もしかしたら宿命解説」頼朝編9回目です。
今回も勝手にこじつけて鑑定してみようと思います。
もしかしたら宿命解説、9回目。今日も源頼朝公やってます。
今回は「律音」のお話。
律音とは、同じ干支同士の組み合わせのことを言います。
ちなみに今年、2022年は「壬寅」年ですので、ご自分の宿命に「壬寅」を持っている方は、律音が巡って来た年となります。当たり前ですが、60年で干支は一周しますので、今年60歳(還暦)をお迎えになられる方は、年干支が律音となります。
さて、頼朝さんの日干支は「辛丑」です。
→去年の干支は「辛丑」でしたので過ぎちゃいましたけど参考になるといいなと思いつつ。
※ちなみに、岸田総理は日干支「壬寅」で、現在の大運が「辛丑」です。去年と今年はだいぶキーポイントになる年ですね。自分の宿命に無いけど、大運と年運が律音の場合は外律音と言います。これも運勢を観ていくのに大事なポイントとなります。
律音とは、ざっくり言えば、もう一人の自分とか、自分らしい自分とか。ですので「しっかりする」「自分自身が強くなる」「意志を強く持つ」ことが自然の流れとなります。ですから、「生き方を定めなさい」というメッセージがその年にやって来ます。
律音=自分らしい生き方に定めなさい。
→やりたいことをやる。やるべきことをやる。
そういうように思って頂ければ大体間違いないです。
1181年(養和元年)、頼朝34歳の時の年干支は「辛丑」でした。
日干支と年干支が律音。そしてなんと、大運も「辛丑」で律音です。
33歳(1180年)から大運「辛丑」の律音。この年は以仁王から令旨を受け取り、打倒平家へと挙兵した一年でした。そして、翌年。平清盛がこの世を去ります。もう世の中大騒ぎです。
頼朝公、いよいよ自分の時代到来!!!
と思いきや、そうはいかなかったのは歴史の妙。
一枚岩でなかった源氏は、この年もバタつきますね。
源義仲の台頭です。
養和元年、清盛が薨去したにもかかわらず、頼朝は平家を滅ぼしに京に上らず、まさかの和睦を申し入れます。諸説ありますが、これは義仲を警戒してとった戦略という説を自分はとりたいと思います。何が何でも平家を滅ぼし、鎌倉を中心に自分が政を執る。この意思は強かったのではないでしょうか。
律音の時期に決めたことは、強く意思をもって続けていくと運勢が上昇していきます。
頼朝公のこの決意は、大運「辛丑」の10年間。ずっと貫き通されます。その意志は死ぬまで続ければ死ぬまで運気は向上していきますので、相当強いものとなるはずです。
→逆を言えばこれが頼朝公を短命で終わらせたのではないかと自分は捉えています。
→何故そうなるのかはまた別のお話で。
そして、この33歳からの大運でもう一つ、頼朝公の運勢を決定づけた意志があります。それが身内の粛清です。
1180年から1189年まで同じ源氏をどんどん粛清していったのは周知のとおり。源氏以外でも、挙兵から連れ添った坂東武者たちも粛清していきます。叔父の源義広・源義仲・源義高・源信義の嫡子、一条頼忠・源行家・源義経。貴族になろうとした清盛一門と違い、武家の棟梁として武士の時代を作ろうとした(守護地頭の配置)頼朝の生き様の一つになるのでしょうか。障害は全部粛正する。源頼朝の生き様が現れた、大運「律音」の10年。その決断をされた年運「律音」。そして、周りの人間から、源頼朝とはこういう人間像だ!と知らしめた、年運と大運の「外律音」。大河ドラマ「鎌倉殿の13人」でも、義時が八重姫に「鎌倉殿は恐ろしい方です」と伝えているシーンが描かれてましたね。
ということで今日は「律音」という観点から源頼朝を観てみました。
次回もお楽しみに。
香取大介
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?