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もしかしたら宿命解説【源頼朝編】⑪

こんにちは。
「もしかしたら宿命解説」頼朝編11回目です。
全12回で頼朝編を終えようと考えております。

今回は、頼朝の死のタイミングを算命学の観点で紐解いてみようと思います。
(次回も合わせて二回に分けて)
といっても、今回の詳しい宿命解説は秘伝の部位にはいるので全部を記すことはできないのですが、ポイントだけお伝えしながら、恐らくこういう意味合いがあったのではという仮説を元に推測してみようと思います。

まさに「もしかしたら宿命解説」 のタイトルの真骨頂ですね。

今回は主に大運を使います。

頼朝公の大運は、
3歳運。つまり、下一桁3歳が大運の切り替え時となります。
ガチっと切り替わるのは誕生日ですので、頼朝の場合は4月8日となります。




大運に巡ってくる十干はその人の人生における主役となる人と言われています。

頼朝公の大運を一部抜粋してみると、

33歳 辛丑(1180年)
43歳 庚子(1190年)
53歳 己亥(1200年)

となっております。

つまり、33歳からの10年間は、頼朝公が主人公。
43歳からの10年間は、北条時政(妻の父)が主人公。
53歳からの10年間は、自分も子ども(源頼家、実朝)

とざっくり見て取れるわけです。
あくまでもざっくりですが。

この時代の年齢は数え年で記されてますので、若干読み取りづらいこともあるのですが、おおむねこの通りに事が進んでいるように見てとれます。

大河ドラマ「鎌倉殿の13人」でも、時政公が目立ち始めて来たのも頼朝が上洛を果たし(建久元年・1190年)、後白河と対面したらよりその存在感を示させられるように画かれてますね、妻のりくによって(笑)

また、大運は数年間、前後にその影響がズレると言われてますので、その前にある、義経追討の院宣が降りてから1189年の奥州合戦に至るまでの経緯を見ても、時政の力は頼朝にとって大いに助かっている(主級の要人)のではないでしょうか。

33歳からの10年間は言わずもかな、頼朝挙兵に始まりますので、誰がどう見ても頼朝自身が主役になります。しかも日本中を巻き込む一大合戦です。この10年で、平家を討ち滅ぼし、奥州藤原氏も滅亡し、まさに日本一の武将になりました。

そして、53歳からの大運は息子たちにその主役の座が渡ると宿命に記されています。

宿命に記された大運の期間による主役とされる人物は、その人物にとって、良いとも悪いとも記されていません。それはその人物の宿命によるものだからです。ですので、あくまでもこの宿命の持ち主にとっての主役となりますし、その主役が自分自身にとって良いとも悪いともこれだけでは記されていないというのはご理解ください。

少しだけ見方をお伝えすると、ポイントとなることの一つは、自分自身が宿命にあった環境に身を置いているかどうか。そして宿命通りの生き様をしているかどうか、この2点がとても重要になります。

33歳からの10年は、まさにその通りの生き様と環境であったように見受けられます。
ちなみに、頼朝の日干支は天印星。天印星がトップということは、その人柄によって、その人物の想いを成就させようとする青年や壮年世代の強靭な肉体や精神を持った人物が現れ手助けするという意味を含みます。そうでないと本人自身は赤子ですから何もできないわけです。逆を言えばこの赤ちゃんの波動を放っている人物が自らやりたい放題やり始めるとどうなるか。。。子育てをしたことのあるみなさんならちょっと想像できるかなと思いますが、ハイハイしてるときの赤ちゃんて、まるで怪獣のような感じがしませんか?ご機嫌でもご機嫌斜めでも。。。

ですから、頼朝の場合は、自らやりたい放題やるのではなく、周りの人の意志をくみ取りそのような想いをしっかり抱き、そしてその想いを成就させようとする周りの甚大な協力が必要な環境にいると良いということになります。その通りの人生になってますね。だからこそ、頼朝は征夷大将軍までの道をこの30代である程度成就できたのだと推測できます。
 →ちなみに、安倍元総理や、現総理の岸田首相も天印星を持っています。自分で振り回すより周りの想いを受け取って成就させようとし、周りの人間たちがどんどん動いてくれるような環境の中にいると成功しやすいということですね。

また、中旬は天極星ですから、これもまた、現実的に強いもののサポートが必要となります。
ただ、現実面でとても強い仲間、パートナーが存在するとなれば、その国のトップにもなれる。そういう星が天極星です。霊感、直観力は半端なくある星ですから、才覚が思いっきり現れた時は、かなり凄腕のリーダーとなります。
 →ちなみに、竹下元総理や、菅元総理も天極星を持っております。隣に絶対的な現実の強いパートナーがいると天下を取れる可能性がある宿命ということです(←これが全ての鑑定材料ではないので念のため)。

さて、53歳からの大運ですが、頼朝公が急死したのは51歳(数えで53歳)の1199年です。もう少しで大運が切り替わるところ。先述に記したことになぞらえば、時政の主役時期から頼家の主役時期に移り変わるタイミングです。

これが来たから頼朝に死が訪れたと直結はできないのですが、頼朝公の宿命から見ると、このタイミングで退かざるを得ないタイミングだったのかもしれないですね。それもあり、様々な要因から運勢の歯車が動き出し、死に至ったということになろうかと思います。

国を動かせるレベルの運気を背負った人の在位中の死は、いつも突然で不思議なことが多いものですね。頼朝公のみならず、歴史が全部物語っています。

頼朝が急死したのち、鎌倉殿の13人でも描かれたように、すぐに嫡男の頼家がトップに据えられます。そして、何の因果か頼朝の誕生月の4月に13人の合議制がはじまります。余談ですが、これでようやくタイトルがスタートするわけですね。

頼朝公の大運からみた宿命通り、時政主役の10年の次は、頼朝の息子たちが主役となる10年が続いていくわけです。

さて、次回はいよいよ謎に包まれた頼朝公の死に触れながら【源頼朝編】を終わりにしたいと思います。今回もめちゃくちゃこじつけた宿命解説となりました。次回のこじつけ感も半端ないと思いますが、引き続き「もしかしたら宿命解説」をよろしくお願いします。


香取大介

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