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もしかしたら宿命解説【源頼朝編】④

こんばんは。
香取大介です。

少しご無沙汰の投稿になってしましました。。。
一人の宿命をしっかり見て行くのは結構な労力が要りますね。
自分も改めて学びになっております。

さて、頼朝が挙兵したのは治承4年とされていますが、この年の動きの前に。
そもそも何故頼朝は武士の頭領として動くことになったのか?
ということにちょっとこじつけて考えてみたいと思います。

頼朝の大運を見てみますと、3歳が甲辰、13歳から癸卯となっております。この大運で甲から癸、あるいは、癸から甲に変わるタイミングは、人生の変化の時期とみて行きます。
これは人によって現れ方が違うのですが、今までの価値観と違う価値観になったり、性格が変わったり、事故や病気、事件などで人生の生き方が変わったりします。それについて良いとも悪いともそういうことではありません。ただそういう何かを変化する時期が回ってくると考えてよいのです。
ですので、このタイミングで変化しないことを固辞すると、返ってよろしくないので(無理やりにでも変えようとする何かが働きやすい)、そのまま流れに乗っていったり、直観的に閃いた生き方に切り替えたりする方が、「ああ、これでよかったな」と後々思い返せるようになります。
よく芸能人やスポーツ選手などは宿命解説の例題に上がりますが、覚せい剤で逮捕されたり、スキャンダルが発覚したり、大怪我をして、今の仕事を継続できなくなる方がおりますが、このパターンでそのような結果になることもよく見受けられます。
逆に、感性の良い人は、このタイミングで他人が惜しんだとしても、スパッと今の環境を変えてしまう方もいます。ちなみに、オリンピックで金メダルを獲得した、女子ボクシングの入江選手もこのパターンに当てはまります。世間はもっとボクシングを!と望んでいるのに、等のご本人は、「就職します!」と躊躇なく会見で大学生活でボクシングを辞めることを公言されました。2021年前後は入江選手にとってまさにこのタイミングなのでした。

さて、頼朝はと言いますと、追いかけられる身柄となるまでは、朝廷勤めの本物の貴族のような生活をしていたと記されています。官位も頂いて皇族、貴族の生活を間近で触れて、自分自身もそのような貴賓のある暮らしをしていたのではないでしょうか。
丁度そのようなニュアンスのことを「鎌倉殿の13人」でも北条政子演じる小池栄子さんのセリフの中にありましたね。

また、当時の価値観では、身分が高いことが即ちイケメンの条件でもあったようですので、地方豪族の娘である政子にとっては、心の底からほれ込む条件にはぴったりだったのかもしれません。

そんな頼朝が、永暦元年(庚辰年、大運癸卯)の時に賊軍となって逃げていたところを捕縛されます。まさに、朝廷に出入りしていた生活と全く違う環境の始まりといっても良いのではないでしょうか? 
本当にこじつけかも知れませんが、このタイミングで、貴族のような生活を絶たれたことが、これからの頼朝の人生を決めたのかもしれませんね。
そしてこの【庚】の辰の年から始まった、源氏の嫡男としての監視下生活が続く中で、治承4年、【庚】の子の年に、以仁王からの令旨を受け取り(しかも受け取ったのが【庚】の辰月)、平家討伐の兵を挙げることを決意するわけでございます。おそらく、頼朝が京の都にずっといたならば(そうなるためには、父の義朝がクーデターを起こしてなかったらという条件が付きますが)、平家打倒を企てなかったかもしれません。父親たちがクーデターを起こし、賊軍となって追われる身となり、そしてなぜか殺されずに伊豆に流刑となったことが、頼朝の運命を大きく変えた…、いえ、運勢を大きく稼働させた。といえるでしょう。

と、こんなことは歴史を知っている人からみたら、常識のお話ですね。

そんな、当たり前のような物語が、宿命を読み解いて行く上での裏付けになるのではないかな。

そう思って始めてみてます。

ちなみに、始めた年月日には魂が宿ると算命学ではみて行きます。つまり、【庚】で始めたことは、次に【庚】が巡ってきたときにその成果(あるいは信念)を試されることになります。ですので、頼朝にとっては、【庚】あるいは、【辰】、あるいは【辰巳天中殺】は大事なポイントになってくるとみて行くと面白いでしょう。

次回は、頼朝は4月(辰月)に令旨を受け取りながらもしばらく静観し、8月(申月)の挙兵に至ったのかを検証してみたいと思います。検証と言いますか、こじつけですね。

「もしかしたら宿命解説」は、これからもどんどんこじつけた解説をしていきますので、これからも楽しみにしていてくださいね。

それでは今日はこの辺で。

香取大介


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