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もしかしたら宿命解説【源頼朝編】⑥

こんにちは。

「もしかしたら宿命解説」頼朝編6回目です。

今日も勝手にこじつけて鑑定してみようと思います。

前回、治承4年が頼朝にとって転機となったと書き逃げしてしまいましたが、そのきっかけは千鶴丸の殺害にあるのではと勝手に推測します(ってびっくりでもないですね)。

そのあとの政子との結婚が治承元年(1177年)であるのだとしたら、この結婚は八重姫と千鶴丸の一件があっての結婚となったと思うので、これがきっかけといっても過言ではないでしょう。

治承元年は、「丁酉」年。

頼朝の年干支には納音ですが(30歳になればだれでも納音になります)、日支は半会となっています。

まず、年干支の納音は、親からの自立と現代は観て行くのですが主なのですが(なので、30歳までに自立していないと、その後の人生はだいぶ大変なことになります)、頼朝は両親に先立たれてますのでそういう意味ではとっくに自立させられています。ですが、伊東祐親の監視下にあったので、良くとれば30歳まで保護されていたとみることもできます。八重姫のことが無ければ頼朝を殺そうとすることはなかったと思いますので(「鎌倉殿の13人」のストーリーと照らし合わせてます)。

つまり、年干支納音の時期までに、自立することが望ましかった頼朝にとって、八重姫との決別(即ち伊東家との決別)はプラスに働いたのではと推測できます。またその整理として必要だったのが、千鶴丸の殺害だったのでしょう。安元元年(1175年)に松川に沈められたとするならば、この年は「乙未」年です。頼朝にとって、日干支、天剋地冲の年となります。剋すエネルギーの天剋地冲ですから、自身がなにか違った方向で前のめりになっていた結果が現れたとも考えられるのではないでしょうか。つまり、積極的に宿命の生き方からずれていた可能性が考えられます。そのタイミングで天剋地冲が回ってくると自分の身の回りが一気に整理されることがありますので(日支は家庭、身内、今までのまとめ。その代表者が配偶者となります)、この年に、千鶴丸と八重姫との関係が壊れてしまったとみることはできます。ましてや、この二人の関係は、辰巳天中殺期間であった可能性が高いですので、天中殺で始まったことは全うできないという理論から見ても、その可能性は高くなります。

一人の尊い命を失ってしまった形ではありますが、頼朝の今後の人生にとっては、もしかしたらよかったのかもしれません。北条政子との結婚をとても良いタイミングで迎えることができましたので。

日支半会で結ばれた二人はなかなか壊れることはありません。

北条政子の宿命が分からないので何とも言えませんが、頼朝にとって、この政子との関係は、望み続ける限りプラスに働き続けるはずです。忌神ですので、苦労はともないますが(笑)

そしてそれは歴史が証明しています。

なにより、ベストなタイミングで挙兵をすることができていますので、この千鶴丸との別れは、それからの頼朝の人生に大きな影響を与えたことは間違いないでしょう(大河ドラマのストーリーに思いっきり影響されてます…汗)

今回はこの辺りで。また次回!!

香取大介

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