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もしかしたら宿命解説【源頼朝編】⑧

こんにちは。

「もしかしたら宿命解説」頼朝編8回目です。

今回も勝手にこじつけて鑑定してみようと思います。

石橋山の戦いから富士川の戦い

治承4年、1180年8月23日(石橋山)/庚子年甲申月から10月20日(富士川)/庚子年丙戌月まで、第五話から九話まで、5話に渡ってしっかり描いてました。大河ドラマの宣伝ではないのですが、、、

今回は、後天運というよりも、頼朝公の性格や人格の雰囲気について宿命から紐解いてみたいと思います。石橋山の戦いで大敗し、そのまま歴史から消えてもおかしくなかった頼朝は何故大軍を率いて鎌倉に入ることができ、平家の追討軍まで追い払うことができたのか。

運勢からではなく、人物の器で観てみましょう。

算命学では、宿命通りに生きていると大きな禍(事件・事故・戦争・天災など)に巻き込まれないと言われています。頼朝公が自分の宿命に反していたら、治承4年で死んでいてもおかしくなかったと思うのですが、生き残りました。ということは、合っていたとみなしてよいということになります。

→ちなみに、初年期で病気や災害などに巻き込まれる場合、自分の宿命より親の宿命に左右されることが多くあります。頼朝はこの時点で元服してますので自分の宿命を消化することが一番良い在り方となります。

せっかくなので大河ドラマになぞらえて、説明できそうなところを見ると、日干の「辛丑」月干「乙」年干「丁」、陽占の主星「石門星」晩年期「天印星」は顕著に説明できそうです。

今回は一番わかりやすい日干「辛丑」と日干か表れる「天印星」に絞って解説します。

まず「辛丑」。これだけで説明できるのですが、今回は分けて「辛」と「丑」。

辛は別で解説してあるので詳細は省きますが、自分自身が威厳のある人間であること。あるいはそういう立場にあることで輝いてきます。常に源氏の棟梁。かつ、他の嫡流候補といわれる人物と違う、京育ちという品格。どんなにひどい目に遭ってもこれだけは固辞している。それだけでよい運勢を引き寄せています。

丑は、土性。土性を持っていると基本的に粘り強いがキーポイントです。粘り強いとは端的に言うと、ダメになりそうになるのだけど駄目にならない。つまり、死にそうなのになかなか死なない。こういう体験が必要なのが地支に土性がある人の宿命です。四つある土性のうち、頼朝公は丑を持っていますが、この丑は、最も粘り強い十二支になります。逆を言えば、最も逆境に立たされ「もうだめだ」という環境が待っているということになります。石橋山での敗戦以降はまさにその連続だったのではないでしょうか(頼朝は子供の頃からこういう人生が繰り返されてますね)。環境と一致すると運勢がプラスに稼働しますから、頼朝にとってこの治承4年の出来事すべてが思いっきりプラスに転じたのであろうと想像することは難しくないと思います。

辛から丑を見ると「天印星」が出てきます。

天印星は赤子の時代です。赤ちゃんは自分であーだこーだ言いません。なので、ああしろこうしろと言うと運気が落ちます(ざっくり言うと)。また、赤ちゃんなので、頼んだもは頼んだとおりにならないことが多いのですが、自分の思った通りの結果にならなくても文句を言ってはなりません。運気が落ちます。ではどうしたらいいのか? 基本「無欲」です。そうすると運勢が一気に上がります。そして赤ちゃんなので、ニコニコしてればよいのです。ニコニコ無心に人に頼る。最高の力が発揮されます。

これを物差しにして大河ドラマを見ていると「あー、なるほどー」というシーンが結構描かれてますよ。

そしてこの無邪気さや人たらしの雰囲気、性格が、多くの人を集め(乙・石門)大軍を率いて富士川の勝利までもっていく運気を呼び寄せたといってもいいでしょうね。

ということで今回はここまで。

「律音」のお話はまた次回に…

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