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GDPは「豊かさの指標」ではない

 GDPとは豊かさでは「ない」、という話をします。

 GDPの定義は明確ですから置いておきますが、豊かさとは何か。人それぞれ違うでしょうが、一般的なことを言えば、生活に不自由なく、時間の余裕があり、親しい人間関係に恵まれている、というようなことが人間に共通する「豊かさ」だと思います。


 GDPというのは、金銭で換算できる生産です。モノやサービスを金銭を通して交換したら、GDPに含まれます。逆に言えば、金銭に交換しないモノやサービスはGDPには含まれません。

 例えば、主婦が家事や育児をどれだけ行なっても、その労働に対して金銭は支払われない。GDPには換算されません。(なので金銭だけが仕事と思っている父親が、主婦の嫁さんに「働いていないくせに」とか言ったりします)


 でも、主婦ではなく、お母さんが会社に勤めていて、給料をもらっている。で、その給料を保育園に払っている。となると、これは金銭のやり取りがありますから、GDPに含まれます。

 お母さんが10万円の給料をもらい、保育園に10万円支払った。すると、お母さんは10万円の生産をしており、保育園も10万円の生産をしています。GDPは20万円、増加します。


 お母さんが自分の子供を自分で育てるのは、いわば「自給自足」です。自分(家庭)のことを、自分でやる。そこに金銭のやり取りが発生しませんので、GDPは増加しません。「お金を払わないとやってくれない」相手に対して、サービスを頼むときに、金銭のやり取りが発生して、GDPが増加するということです。

 ただ、お母さんも育児をするのは大変ですから、外部に頼みたいのは山々です。では、もし、お母さんが働いているのが、近所の農家の手伝いバイトだとして、その農家には、元保育士で今は暇しているおばちゃんがいるとしましょう。

 おばちゃんは、農家の手伝いは出来ませんが、子供の面倒なら見れます。そしたら、お母さんがバイトに来てくれる代わりに、私がその間、子供の面倒をみてやろうという話になりました。ベビーシッターのバイトですね。

 農家は、お母さんにバイト代として10万円を払います。お母さんは農家のおばあちゃんに、ベビーシッター料の10万円を払う。給料日に10万円もらって、そのまま10万円を返すことになります。その場合も、金銭のやり取りをすると、GDPが20万円増えます。

 しかし金銭のやり取りをするから、そこに「所得税」と「消費税」がかかってきます。10万円の受け渡しをすると、それぞれが1万円の税金を納めないといけない、となったとします。でも、ただ税金を無駄に払うことに気付けば、じゃあやめようよバカらしいから、となります。

 すると、農家のバイトと、ベビーシッターのバイトという、物々交換が行われるわけです。この場合、お互いが得意なことをして支え合い、サービスの交換が行われています。保育園に行くのと同じです。

 その結果、生活は互いに豊かになりました。お母さんも、昼間ずっと子育てしているよりは、農家のバイトの方が楽しいです。おばあちゃんも、赤ちゃんの面倒を見れて楽しいです。でもGDPは増えていません。そして個人の生活で見れば、税金を払わない分、生活が楽になっています。


 こういう「交換」ができる人間集団が、共同体とかコミュニティというものです。

 コミュニティ内での取引がちゃんと行われて、分業が進めば進むほど、お互いの生活は豊かになるのです。でもGDPは全く動かない。金銭的には何も生み出していない、お互いに無収入の貧困層、ということになります。

 さて。我々の目的は「幸せに暮らすこと」であり、その手段として、人間は個々人で得意・不得意があるから、仕事の交換をした方が良い。分業した方が、能力が上がり、生産性が上がるからです。でも、その「仕事の交換」において、お金は手段の一つでしかない。というか、むしろ取引の本質は、共同体内部での信用における交換なんです。


 取引のうち、共同体内部での取引が多ければ多いほど、GDPは少なくなります。ですから、GDPが多ければ豊か、というのは違うんです。

 例えば、とある国があったとして、その国の内部でほぼ完結している経済になっているとしましょう。鎖国している江戸時代の日本みたいなものです。江戸時代の通貨の「両」なんてのは、世界の中の地域通貨です。このような場合、GDPを0ということもできる。だって、外部と繋がっていないんだから。もし、GDPをドル換算しないといけないなら、江戸時代の日本のGDPは0なんです。

 このように、共同体内部において、通貨的なものを発行してもGDPには換算されません。仲間内で、メモのように紙に「100」とか書いて流通させてもいいし。覚え書きのようなものです。100の仕事をしてもらったから、いつか返さないといけないな、というような交換の覚え書きとしての、通貨です。

 でも、これはメモ書きであり、通貨では無いし、GDPに換算されない。メルカリポイントを使ったメルカリ経済はGDPに換算されていないと思います。

 何が言いたいかというと、GDPを増やせば国が豊かになるってことでは無い、って話です。GDPを増やそうというのは、手段が目的化しているんです。本当の目的は、豊かな生活を送ることであり、そのために必要な取引が滞りなく行われることです。その取引の中の、日本円による(しかも表に出る)ものをGDPと言っているだけです。


 我々が、自分の生活を豊かにしたければ、まず、自分で出来ることを自分でやる。自給自足。それが中心にある。

 で、それでは足りないもの、また、やりたくないことを誰かに頼むために、取引を行う。手伝ってもらうようにお願いするとか、信頼できる人に頼むとか、自分が何かするから代わりにやって、という方法をとる。
 
 それでも、まだ出来ない時に、初めて外部に頼む。その外部も、メルカリポイントや物々交換で動いてくれないのなら、最終的には日本円という通貨を使わないといけない。その日本円の使用量の合計がGDPです。


 ちなみに、GDPが落ち込んだら税収が減ってしまうじゃないかと思うかもしれませんが、予算の財源は税収ではありません。もし予算の財源が税収であるのならば、最初は問答無用で、サービス(予算による)を与える前に税金を徴収することになります。

 そうしなくても済むのは、日本国は通貨を発行できるので、先に予算分の通貨を発行すればいいんです。ってか、実際、そうです。先に、公務員や公共事業に給料を払う。で、そのままだと通貨が市中にダブつくので、税金として回収して、インフレ率を抑えるということです。

 ま、そんなでかい話はともかく、我々がやるべきことは、豊かな生活をするために、自分で出来ること、また、人にお金によらず頼めることを増やしていくことです。そうすれば、税金も払わなくて済む。

 そのような共同体的な生活へのハードルは心理的なものでして、「年収=人格」みたいな常識にのっとれば、収入が低くて恥ずかしい、ってぐらいのことです。ま、それも共同体で仲間を作れば、我々はその仲間内での「常識」に影響されますので、そんなに気にならなくなることでしょう。またあした。

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