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現代社会で、最も普及している宗教

 今、高知でコミュニティづくりをしているわけですが、ひょんなことから東京近郊でもやろうということになり、今月の20〜22日にコミュニティづくり候補地の現地視察に行きます。ってことで、ご興味ある方は連絡ください。神奈川県の某所で行います。

 僕は今、高知県の山間部に住んでいますが、嘘か本当か知りませんが、縄文時代ぐらいの人は、夏は山間部に住んでおり、冬になると暖かい高知市のほうに移動していたそうなんです。直線距離で20キロくらい。つい数十年前までは、歩きで高知市まで日帰り往復していたというぐらいですから。片道、数時間。縄文時代の子供や年寄り連れでも、途中で一泊ぐらいすれば、余裕で行ける距離です。山間部は夏は涼しくて良いのですが、冬は寒いですからね。たしかに冬は、高知市あたりの沿岸部の方がよっぽど暮らしやすいです。

「定住」って、もう当たり前も当たり前すぎて、疑う余地もないほどの、現代ではごく普通の価値観となってしまいましたが。おそらく人間は本来、定住していない方が普通。毎日、住む場所を変えるというほどでは無いでしょうけれども、何週間とか何ヶ月単位ぐらいでは移動していたんだと思います。それこそ、季節によって変えるとか。そういう人間が、なぜ定住を始めたかというと、もちろん最大の理由は農業です。

 農業というのは、その土地じゃなければ出来ませんから。土地に縛り付けられるんです。ま、焼畑農業みたいに、数年単位であちこちに移動するという方法もありますが、日本で主流だった稲作で言えば、田んぼという土地を作るのは、とても労力がかかります。灌漑工事も必要ですから。その土地に労力をかければかけるほど、移動の自由は奪われていく。稲作と共に、定住するのが当たり前になる。それに加え、明治以降の国民管理のために、住所と紐づけて管理することにしたので、住所というのは個人を特定するメインファクターとなったわけです。

 農業ではなくても、会社勤めというのは基本的に、同じ職場に行き続けるわけで、やっぱり定住するわけです。というか、転勤が続くのが嫌だから、むしろ一箇所に「定住したい」という人が多数派です。ただ、本当の理想を言えば、好きな時に、好きなところに住めるのが理想なわけです。暑いから北海道に行こうか、とかいって移動できる方が良い。で、インターネットで仕事ができるようになり、コロナでリモートも一般的になり、ノマドワークというのも一般的とは言わないまでも、そういう生き方も超少数派ではなくなった。

 ただ、ノマドワークも不便なのは、知らない土地でまた一から色々、学んでいくという必要があること。面倒です。大変です。ってことで、何が言いたいかというと、やっぱりコミュニティなんですよ。それも、コミュニティを複数作って、そこのどこでも行けるような状態にしておくこと。すると、定住とノマドの良いところどりが出来るだろうと思うわけです。これは1人だと不可能で(不可能じゃないにしても、数億円とかの資産が必要)、それよりは、コミュニティを作る方が良いかと思います。

 僕も高知にコミュニティを作りますが、未来永劫、ずっと高知に住みたいですとか、骨を埋めます、なんていうことは思っているわけではなく。結果的にそうなるかもしれませんが。特に考えてはいないです。南海トラフで壊滅的な被害を受けるかもしれないし。そういう、リスク分散の面においても、離れた場所にコミュニティを作っていき、ネットワークで繋げていくというのが、さまざまなリスクを軽減できます。保険です。ってことで、まず関東。九州にも欲しいね。外国にもできたら最高。それこそ、自由にどこにでも行けるようになる。

 コミュニティがいくつも繋がり、自分がどこかに行くときに世話になる一方で、どこかから来た人をコミュニティで世話すれば良いわけです。これが「良い物々交換」なのは、普通、世話されることのありがたさというのは、世話する面倒に比べて、ずっと大きいのです。ありがたさ100に対して、面倒さが20ぐらいのイメージ。それが、良いトレードです。トレード(交換)というのはパイの奪い合いではなく、ウィンウィンの関係を築くべきものです。お互いの「不要なもの」を交換して、お互いが利益を得るのが最高です。

 そう考えると、全国のコミュニティがつながって、互いに人が行き来して世話をし合うというのは、世話される側のありがたさに比べて、世話をする大変さは低いので、ウィンウィンの関係になりやすい。毎度言うように、お金を発生させなければ、旅館業法や簡易宿泊などの許可をとる必要もない。そういうネットワークが最終的に、どういう形に行き着くかと言うと、宗教ぽくなるんだと思うんです。四国で言えば、お遍路さんなんていうのも、そうでしょう。イスラムが客人を歓迎するのも、本質はコミュニティのネットワークです。

 そして、その集団に共通の価値観があれば「宗教」と呼ばれます。ただ、その時の世界で最もメジャーな宗教は、宗教とは呼ばれずに「常識」とグレードアップされるので、現代で言えば、それは貨幣経済です。お金という、いわば共通の信仰札を信じる宗教。この信仰札を持っていれば、受け入れられるんです。みんなが信じているから、お金は通用しています。そして中世ヨーロッパにおいて教会の権力が強大だったように、現代では、FRBなどの通貨発行者の権力が強い。FRBは現代の宗教の総本山です。

 ってことで、その宗教に頼らずに人間関係を築こうという手作りコミュニティは、異端になるわけですが。ま、物々交換したところで火炙りにされるわけではないので、良い世の中だと思います。異端尋問を受けることもなく、変わり者と思われるぐらいで済む。ということで、どうしても常識と違う価値観を持つ集団を作れば、それは宗教になるなと思いますが、もっと広まれば常識になるので、そこまでいければいいなと思っています。またあした。

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