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クワの畝立て、進化の歴史

 昨日、というかこれを書いているのは昨日の夜なので僕にとっては数時間前のことですが、イベントで畑づくりをしまして。畑づくり、というのは、耕作放棄されているような場所を、ちゃんとした「畑」にする作業。ふと、畑という感じを見て、火に田んぼだけど、焼いたんですかね、草を。というのは、今日、草を見ていて、燃やしたら楽なのになと思っていたので。

 閑話休題。畑にする作業、というのは、その土地は水がじわじわと湧いていたので、ぐちゃぐちゃの沼っぽい場所があったんですね。なので、まず、水を逃さないといけない。そして、畑にするためには畝立てをしないといけない。畑にある列、あれが畝ですが、あの形に土を盛っていくわけです。ということで、農業というよりも土木作業です。

 で、十数人の方々と一緒にやったのですが、ほとんどの人が農作業(というか土木作業)が初めてで。スコップとか、クワとか、道具はいろいろとあるんですが、機械を使わずに手作業で進めていったんです。そんなこんなで二、三時間たった頃、遅れて参加してくださった方が、家庭菜園をやっておられるとのことで、小型の耕運機を持ってきてくれたんですよ。そしたら、あっという間に進む。ガンガン進む。そして、無事に畑ぽい場所が出来上がったというイベントでした。

 で、そんなことしながら、記憶が甦ってきたんですけど。僕が移住する前、もう今から20年くらい前のことですよ。1週間くらいの農業研修を受けたことがあって。体験、ですね。当時、高知県に窪川アグリ塾というのがあって、公的な施設だったと思いますが、そこで研修を受けたんですよ。そこで、まさに、畝立てをする授業というか、体験会があったんですね。

 で、あやふやに覚えているんですが、当時、そこの先生だった松下さんが「本当は機械でやる予定だったけど、機械が壊れたから、クワでやろう、ま、クワでやっておけば後で機械のありがたみも分かるだろう」みたいに言っていたんですよ。

 当時の僕は、それこそ、今日、イベントに参加してくださった方々と同じように、というか、おそらくそれ以下の農作業知識しか持ち合わせていませんでして。トラクター何それ美味しいの状態ですよ。クワなんて持つのはもちろん、見るのも初めてですよ。農民が一揆の時に装備するやつ、ぐらいの認識ですよ。だから、そもそも畝立てというのも分かっていなかったし、機械と言われても分からないし、だからクワの畝立ても大変とも何とも思わず、ただ、言われたことをやっていたんですよ。

 で、その時は、その日に機械が結局、使えなくて。なので「機械のありがたみ」を味わうのは、またずいぶん先の話になるんですが。何が言いたいかというと、今日、これは狙っていたわけじゃないんですが、皆さんが最初にクワとスコップで試行錯誤して、その後で小型機械が来たというのは、すごく良かったなと思ったんですよ。体験的に。なんというか、農業道具の進化の歴史を味わった、という感じで。

 そう思うと、そもそも最初は道具も無しで、というか、思い思いの道具を持ってきて、苦労してみて。その後で「正しい道具」である、鋤簾(ジョレンという幅広のクワ)を使ったら、それはすごく、ありがたみが分かる。ああ、こういう道具があれば楽なんだな、と分かる。そして、その後で機械が来れば、その凄さが分かる。もっと言えば、手押しではなく乗用トラクターがガンガンやってきて、その後に管理機で畝立てしたら、その凄さにビビる。

 効率を求めるなら、最初から、トラクターと管理機で良いんですよ。それが正解。でも「教育」という観点から言うと、最初は手ぶら、もしくは自分なりの道具、その次に正しい道具、そして機械、という体験をすると、学びになるなぁ、と。僕もね、先程の話の、20年くらい前のクワの畝立て、はっきり覚えているんですよ。やっぱり、体を使って大変な思いをした、というのは、覚えます。すると、機械のことも分かるんですよ、ああ、この作業をやっているんだな、と。

 最初からトラクターを使うのって、なんていうか、筆算を学ばないで計算機を使うようなものだなぁ、と。最初から効率の良い正解を行うのは、面白くないし、そこには感動も無い。まずは手作業から始めて、道具を使って、鉄の道具の凄さにも感動して、そして機械で、という、この人類進化の歴史を辿るのが必要だな、というか、辿った方が面白いなと感じ入った本日(昨日)のイベント。20年前の松下さんの言葉が今更ながら身に染みました。はい。またあした。

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