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仕事とプライベート、という概念が生まれた理由

 人間のあらゆる悩みは「DNAが想定している環境」と「現実の環境」のズレから生じていると、何度も書いていますが。実際、何度書いても正しいと思っているし、他の人もそんなこと行っていないので、あいも変わらず今後も繰り返し言い続けます。

 で、人間の行動というのは、とある環境内での利益によって、その行動の「採点」が、なされます。もっと言えば、現状把握と、環境と、目的がある。スタート、ゴール、そしてその間のルート、です。このルートを辿ることが「行動」です。


 環境は外部要因ですので、変わることがあります。ってか、よく変わります。天気だって変わりますから。なので不確定要素はあるのですが、とりあえず、理解できる範囲の環境の情報を入力し、スタートとゴールを結びつける線を計算するわけです。

 スタートというのは「自分の現状」です。なので、子供なのか、大人なのか、男なのか、女なのか、病気なのか、などの、自分の状態によって違ってきます。ゴールは、DNAが想定している環境においては、集団が生き延びることです。それが人間の、初期設定のゴールです。

 人間は「自分が生き延びること」を目的としていません。だから自殺もするし、自己犠牲的な行動も取り得るのです。人間は「群れの生き物」だというのは、そういうことです。それが初期設定。

 なので、人間のDNAが想定している、人間の行動というのは、自分が行動することで、群れの繁栄確率が最大になるような行動を取るようになっている。その行動を取りたくなるような「欲求」が働いている。その欲求を満たすと、幸福感を与える脳内物質が付与されて、幸せを感じる。


 というように、ゴール(群れの生存)に向けた行動をとれば報酬系が働く。環境がDNAが想定しているとおりならば、人間は幸福です。これは当たり前で、幸福というのは、DNAの想定通りの行動をとれば付与されるように出来ています。幸福感の元となる脳内物質を付与するのはDNAです。

 環境がDNAが想定しているものとズレていないのならば、現実世界(想定しているとおりの)で利益を得るためには、やりたいように、行動したいようにしていれば、それで良かったわけです。エデンの園の時代です。完璧な幸福の時代。環境のズレが無い時代です。


 でも、想定環境と、現実環境がズレ始めてから、おそらく1万年以上は経っています。まだ、人間のDNAはアップデートされていないので、その変化に追いついておらず、現実環境に対応するためには、本能にはよらない行動様式をインストールする必要があります。それが学習であり、文化であり。それを学んで、初めて「人間」になる。社会に出られる。ここ1万年ぐらいは、いや、ひょっとしたらもっと昔から、そんなことやっているんです。

 とすると、現代人の多くは、DNAが想定している環境での欲求と、現実環境での欲求の、2つの欲求をもっているということになります。

 環境のズレは、やるべき行動のズレです。なので、「本能の思うがまま」に行動するような人は、現代の環境では生きづらくなる。かといって、現代の環境にばかり合わせていても、幸福感は得られない。だって幸福感は、DNAが付与してくれるもので、DNAは現代の環境にマッチしていませんから。なので、現代の環境での「正しい行動」をしていても、幸福には、なりにくいのです。DNAの報酬系が働かない。


 このズレは、いわば「仕事とプライベート」の分離です。仕事は、現代的な環境での「正しい行動」であり、現代の環境から利益をもたらします。でも、そこでは、幸福は付与されない。仕事は辛いものになる。仕事が辛いのは、現代的な環境での「やるべき行動」に、DNAが幸福感を得る脳内物質を付与してくれないからです。

 むしろ、そこに恐怖や不安を付与してしまう。現代的な環境では、営業したり、SNSでフォロワー増やしたり、そういうのが「正しい行動」になるけど、それはDNAの想定外だから、恐怖や不安をも、もたらすのです。


 で、そんなのだったら生きていても楽しく無いから、人間は一方で、DNAの欲求を満足させて、幸福感を得ます。そこを「お金」で繋ぐことで、無理矢理、仕事をする意味を見出している。

 辛い仕事をしてお金を稼ぐのは、プライベートでお金を使って幸せになるためです。無理矢理、ズレをお金で結んでいるんです、想定する環境と現実の環境とのズレを結ぶんです。で、甘いもの食べたり、布団で寝たり、友達と飲んだり、ギャンブルしたり、ゲームしたりするわけです。これらの行動はDNAの欲求を満足させます。


 DNAが「やったら良いよ」という行動、甘いもの食べたり、友達と遊んだり、ギャンブルしたりすることは、現代の環境では、大抵の場合は利益をもたらしません。繰り返すけど、環境がズレているから、DNAがやらない方がよいと想定することをやった方が良いし(仕事)、逆に、やった方がよいと想定することをすると損をする(遊びやギャンブル)。

 で、たまたま幸運にも、これが一致している人は、「仕事が楽しい」ということになり、利益も出るし、とても幸福になります。成功する起業家とかのタイプです。


 ただ、誰もがそうなれないのは、人間には個人差があって、どういう行動を取りたいかというのも、人それぞれ微妙に違います。それは「人間は群れ」であるからこそ、群れの内部での役割分担があるんです。

 冒険心がある人もいれば、外に出かけないでコツコツと家を守る人もいる。DNAが想定する「やるべき行動」が、現代社会では利益を得るのが難しい、という人もいるでしょう。ま、それはどうしようもない。ズレているのが悪い。っていうか、DNAがアップデートされないのが悪い。


 いずれにせよ、人間の想定する環境と、現実の環境がズレてしまい、我々は二つの環境それぞれへの欲求を持つことになった。仕事と、プライベート。やらなきゃいけないことと、やりたいこと。分離してしまったわけです。そして「時間」も生まれた。不幸な時間は、幸福な時間のためにある。だから「我慢」する。我慢して、その分離した時間を繋ぐ。我慢や後悔という感情が生まれ、時間という概念が生まれる。

 また、「時間」の誕生の後には、お金も生まれました。お金で繋ぐ。それを良しとする文化が生まれ、後天的に、そのような価値観を学んで「大人」になるんだけど、ただ、この感覚は荒天的なものなので、幸福感を得られるわけではない。このような分離をなくすことが幸福への道。そのためには「現実の環境」を、可能な限り、想定されている環境に近づけることだと思います。

 仕事とプライベートの境を無くす。そうすれば、そこを繋いでいた、我慢やお金というものが無くなります。無くすためには、無くしても良いような環境を作らないといけない。それが毎度、言うような、集団です。

 100人という大きさであり、それに加え、DNAが想定している環境は、他者から隔絶され、自然が多く、快適な気温であり、というような環境なので、それに近づけた方が、人間は幸せになるということです。それが近づけば近づくほど「遊んで暮らす」世界が現実のものとなります。またあした。

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