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風邪の話、そして外貨を獲得することについて

 久しぶりに風邪らしい風邪を引いていまして。コロナじゃないと思いますけど。知らんけど。ま、思い当たる節はあるんですよ。保育園です。うちの子が9月から保育園に通い始めまして。で、保育に通うと、経験ある親御さん方は分かるでしょうが、子供が風邪をもらいまくってきて一家が全滅するという。このもっとひどいやつが数百年前のアメリカ大陸で起こったんだな、とか思ったりしていますが。

 子供はゲホゲホ言って、ケロッと治るんですが。大人はね、治りませんよ。かかりますよ。で、先日、東京に行った時に会ったマクロビの大家(たいか)みたいな90歳の先生がいて、その人が言うには、風邪を引いた時は断食して、消化に向かうエネルギーを体を治す方に集中させる。そして、暖かくして体温を上げて、汗をかくことだ、と言うので。その通りにしようかと思います。ま、ちゃんと寝ていればいいんだけど、動けはするので、高知市に用事をしにきたりしちゃっているんですが。はい。

 今日、したい話は何かというと、毎度、コミュニティという話をしていますが。一方で「お金」も必要である。僕は、お金の無い世界というのは最終的には可能かもしれませんが、少なくとも数十年とか百年ぐらいでは無理だと思っています。ただ、コミュニティという「お金のいらない範囲」を拡大させることによって、95%ぐらいの人は、お金の無い生活が可能だと思っています。

 お金を考えるときに、コミュニティ内部のやり取りのための「お金」と、外部との取引に使う「お金」は違うんだ、ということです。これが重要。違うんですよ。内部でのお金というのは、基本的には、必要ありません。内部で価値のやり取りがあったときに、それを「借用書」のような形にするのであれば、そこでドルとか円を使う必要は無いんです。メモ書きでいいんですよ。で、このメモ書き、例えば「肩たたき券」だってそうですよ。肩たたきをするという権利がある紙。これを誰かにあげれば、お金になるわけです。

 だけど外部にはそれが通用しないので、日本円とか使うわけです。で、コミュニティ外部との取引のためのお金は、現代的な生活のためには必須です。ということで、外貨を稼ぐ必要が出てくる。コミュニティの仕事の一つとして、外貨を稼ぐ、という仕事があるわけです。別の仕事として、コミュニティ内部の暮らしを支えるための無数の仕事とか、稼いできた外貨を使って必要なモノを獲得する、という仕事もあります。外貨を稼ぐというのは、仕事のごく一部でしか無いわけです。

 コミュニティが小さくなればなるほど、コミュニティ内部の暮らしを支えるための仕事は、減って行きます。だから、現代の主婦は暇なんですよ。子育てしているなら、コミュニティが大きいですから(子供の人数分、大きい)、忙しくなる。介護もあれば、さらに忙しくなる。コミュニティが大きくなっているのに、労働力が増えていないからです。でも現代は核家族とかですから、暇です。また、一人暮らしも暇なんですよ。だって、コミュニティ内部の仕事なんていうのは、自分の暮らしの分しかないんですから。

 一方で生活を外部に依存して、外貨を稼ぐと同時に、その外貨を使ってサービスを得るわけです。これが、ほとんどの現代人の生活です。そのような暮らしをしているから、当然、仕事はほぼイコールで外貨を稼ぐ、ということになる。内部の通貨なんて、その存在すら、ほとんどの人は意識していません。だって一人暮らしで内部通貨なんて、要るわけが無いんですから。ある程度のコミュニティがなければ、内部通貨なんていうのは、そんなものが必要とも思わないですから、無いんです。

 問題は何かというと、人間の仕事の、そして適性の、ごくごく一部である「外貨を稼ぐ仕事」のみが「仕事」とされて、全てそのフォーマットに落とし込もうとしている、その結果、多くの仕事が無価値とされている。さらに言えば、人間の幸福というのは、コミュニティの人間関係に依存していますから、そのような形で幸福になれる訳が無い。でしょう? すごく当たり前のことなんですよ。

 そして外貨というのは、その特性上、外部に対してのものですから、その獲得は攻撃的になります。内部通貨は、攻撃的ではありません。優しいんですよ。そもそも、コミュニティ内部のため、仲間のためのものですから、そこでお互いが傷つけあっても意味ないんです。でも外部は外部ですから、外貨というのは攻撃的に獲得するんです。それが「ビジネス」です。で、みんなが「個人」でそれをやっているんだから、刺々しい社会になるのは当たり前でしょう。

 理想を言えば、人間全体を考えたときに、それぞれの人間が得意なことをして、人のためになることをして、支えあっていければ最も幸福度が高くなる確率が高い。これまた当たり前のことです。それが阻害されている、ということです。その完成形を思い描いた上で、さて、今の社会がどれくらいズレているのか、そのズレをどうやって埋めていくのか、という、考えるべきは、そういうことです。どういう順序で、ズレを埋めていけば、効率が良いかとか、そういう話です。はい。またあした。

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