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秋のコスプレ祭り

 すっかりハロウィンってのは定着しましたね。僕が子供の頃には無かったので、とあるイベントが出来上がる過程をリアルタイムで追えたのはハロウィンが初めてだと思います。

 一斉に、色々な媒体が示し合わせたように(示し合わせているだろうけど)ハロウィンを広め出して、そして、それが「広まっている」と既成事実のように言い出して、それが本当に広まる。嘘から出た真、というやつです。保育園や小学校でも、子供たちにハロウィンイベントをさせて、定着させる。なるほど、こうやってイベントが作られるのか、と感じ入ります。


 ハロウィンが最終的に、コスプレ大会として定着したところも面白い。考えてみれば、夏の花火大会とかも、コスプレ大会じゃないですか。和服コスプレ会ですし。正月のコスプレも、そう。夏の水着もコスプレ。なんか、日本文化とコスプレって相性が良いのかもしれない。服も、日本人ってすごくきちんとしているんですよ。世界トップレベルに、服装がきちんとしている国だと思う。「人の目を気にする」という文化的な気質が、そこに現れているのかもしれませんが。

 今はもうやっていないけど、うちはコロナ前まで外国人ボランティアを受け入れていて、総勢100人以上は滞在していったと思いますが。中でもフランス人が多くて。で、「フランス人は服を10着しか持たない(笑)」みたいな本、あったでしょう。それに関しては本当だなと思えて、あいつら、服に無頓着すぎます。僕も日本人の中では、かなり無頓着な方だと思うけど、フランス人には敵わない。20代の良い年頃の女の子が、パチモンのミッキーマウスのTシャツでずっと過ごしていたりしますから。まじ無頓着だなと思います。


 日本人は「人の目」でコスプレする、って話に戻りますが。そもそも、お祭りのようなイベントって何のためにやるかというと、一つは、宗教でしょう。神様に感謝するとか、そういうやつ。ハロウィンだってそうでしょう、知らんけど。いや、今年の流行語になるかもしれませんが、知らんけどって本当に使い勝手が良いですね、そりゃ流行りますわ、知らんけど。この、最後につけることによって、責任をぶん投げるような、軽くリセットボタンを押すような、免罪符というか。息苦しい現代でそりゃ流行りますわ、知らんけど。

 で、クリスマスにしろバレンタインにしろハロウィンにしろ、宗教イベントとして始まっているわけでして、欧米では。でも日本には、欧米的な宗教は、ありませんから。日本の宗教は「世間」でして。だから、日本的なイベントになると、人間関係のイベントになるんです。カップルで過ごすクリスマス、バレンタインは告白、ハロウィンはコスプレのセンスを競う。宗教的な、一人で神に祈るとは対極の、皆でわちゃわちゃ楽しむ、というイベントになる。

 この小さな島国で何より重要なことは、周りより秀でて勝ち残ることではなく、皆と仲良くすることだったのでしょう。だから我々は宗教は苦手だし、一人でいるのは寂しいし、ガリ勉を馬鹿にします。そういう国民性があるところに、秋の需要喚起という商業面の目論見もあり、コスプレ大会として定着したハロウィン。ということで皆さん、周りにセンスいいね!と思われるようなコスプレを頑張ってください。お祭りですから。秋のおセンスコスプレ祭りですから。はい。またあした。

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