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生産性ではなく、幸福という基準

 僕が「人間は100人ぐらいのコミュニティで生きるべきだ」と思うに至った原体験は、羊とヤギの違いで。これは何回か書いていますが。僕は羊とヤギ、どちらも飼ったことがあるんですが、性格が全然違うんですよ。羊は群れの動物です。何百頭とかいうレベルで暮らす動物なんです。それに対してヤギは、もっと少数です。せいぜい数頭の群れ、ということもあります。1匹でいることも、あります。

 そういう設定になっているんです。生命の設定は、DNAです。ですから、羊は1匹でいると、おびえます。パニックになるんです。ヤギは大丈夫です。ですから、羊を1匹で飼うぐらいなら、他の動物、ヤギでもなんでもいいんですけど、それと一緒に飼った方が、まだマシです。後で説明しますが、人間が犬や猫を飼うようなものです。

 羊とヤギの違いを見て、それぞれの動物に「適切な飼い方」があるのだな、と思ったわけです。さて、ひるがえって、我々人間はどうか。人間も生き物です。だったら、羊やヤギに適切な飼育方法があるように、人間にも最適な飼育方法があるだろう、と思ったわけです。

 さて、最適な飼育方法といっても、何をもって最適とするか、という問題があります。例えば「豚の最適な飼育方法」は、現代では、いかにコストを安く豚肉を生産するか、ということになります。それが最適な飼育方法です。別に、豚がどれだけ心地よく暮らすか、という尺度で豚を飼育しているわけではありません。

 人間の飼育方法の基準は何なのでしょうか。おそらく、ほとんどの場合は生産性です。どれだけ効率的にモノを生み出すかという、ま、豚肉と同じようなことです。でも豚と違って、エンタメもあるし、旅行とかもするのは、ま、そのぐらいやってやらないとストレスが溜まって、労働しなくなるからでしょう。あくまでレジャーは、労働の再生産のためにあるのであって、豚小屋を快適にしたら豚肉の肉付きが良くなったというのと同じようなことなんだなと思っています。

 という社会はシンプルにヤベェと思うので、人間の「幸福」という物差しを持ったときに、さて、どのような「飼い方」になるのだろうか、と思っているわけです。で、結論は100人ぐらいのコミュニティであろう、と。だから生産性は低いんですよ。だって、そもそも生産しようと思っていないんですから。豚舎ではなく、そこら辺をうろつき回っている豚の方が、幸福そうだけど、肉付きが悪いようなものです。で、人間も、そこら辺をうろつき回った生産性の低い生き方をした方が幸せだろう、と思うのです。

 さて。人間の幸福度は、ほとんどが「人間関係」に依存します。ですが、現代人はほとんど人間関係が無い。信頼できる人間が一人もいない、という人も多い。ま、1頭で飼われている羊のようなものです。群れを作る本能があり、欲求もあるのに、羊がいない。だから、せめてヤギでもと思うように、人間もペットを飼うわけです。これだけ犬や猫を飼う人がいて、巨大産業になっているということは、その裏返しで、人間にはコミュニティを求める、凄まじい本能があるということです。人間の孤独化とペット産業は、もちろん、セットです。

 昨日、書きましたが、人間は慣れます。幸福な環境にも慣れる。なので、幸福というのは数値化するのは難しい。不幸も幸福も「普通」だと思うんです。ですので、生産性とは違い、このような幸福への取り組みを数値化するのは難しいと思いますが、強いて言えば、幸福だなと思われるような人は、幸福でしょう。不幸だと思われるような人は、不幸でしょう。結局、思いでしかないのですから。はい。またあした。

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