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ユニクロとマクドナルドで幸せな人生

 昨日、個人化して「自立」を目指す社会は、個人がそれぞれ「不得意なこと」をしなければならなくなり、結果、生産効率が落ち、社会全体が下降していく、という話をしました。

 その解決策として、個人で生きるのではなく、コミュニティを作ることが必要です。それは家族でも地域でも会社でも良い。ま、僕は、日本の場合は文化的に「地縁」が最も良いと思っていますが。遠くの親戚より近くの他人、というやつです。さて、問題は、いかにしてこれから、そういうコミュニティを作っていくか、ということです。


 だって我々は、生まれてこのかた、テスト勉強はさんざん教わったけれども、人とどうやって仲良くなるかとか、どうやってコミュニケーションをとるかとか、そういうスキルを教わったことは無いんです。せいぜい保育園・幼稚園まで、です。

 大人の「コミュニケーションスキル」というのは、仲良くなることではなく、いかに客に商品を売りつけるかとか、営業スキル的なものでしょう。そんなの、コミュニケーションではなくて、商売術です。そうではなく、人として仲間になる、仲良くなる、そういうことが必要なんですが、そんなこと学んでいない。


 若者が結婚しなくなった、という話も耳にタコができるほど聞いていますが。もちろん、経済的に金が無いという理由もあるでしょうが、一方で、どうやって仲良くなったらいいんだ、というのが分からないというのも多いと思います。

 人間、放っておいたら勝手につがって子供が生まれる、というものでも無いですよ。動物園の動物だって、それなりに環境を整えないと、子供は生まれないんですよ。なんで人間だけ放っておいて増えると思うんでしょうか。環境を整えなきゃ無理ですよ。


 そのために、衣食住の物理的な環境を整えるという、現代で言えば経済的な問題もありますが。もっと根本には、どうやってコミュニケーションをとるのか、という問題もあります。

 おそらく人間社会は、それぞれで、そこをフォローするシステムを生み出していて、少し年上の同性の先輩が教えるとか、世話焼いてくれる大人がいるとか、やってきたわけです。それが無くなったら、隙間を埋める産業として「デートマニュアル」とかが出てきて、ゼクシィとかも出てくるわけですが。


 人間は個人個人で違いますので、汎用マニュアルが通用するケースは、その一部です。本当は、それぞれのケースで、それぞれに対応しなきゃいけない。そういうものです。

 で、それぞれに対応するというのは、資本主義社会と相性が悪いのです。産業革命により「モノ」の生産効率は爆上げしました。一方で、人間が生み出すサービスというのは爆上げできず、相対的に、高価なものになっていきます。となると商品は、できるだけ人間サービスを排除したものになっていく。生産は工場になり、そして今、知的労働もAI化されていくわけです。

 AIが、昭和の世話焼き仲人おばさんぐらいのレベルで、あんたらお似合いじゃないの?ぐらいにマッチングしてくれればいいんですけど。まだ無理でしょ。というか、僕は未来永劫、無理だと思っていますが。

 生産効率を上げるということは「汎用品」になるんです。生産を機械化するんですから。で、そのサービスを受けるためには、消費者としての人間も「汎用化」するんです。だから実は我々は、教育システムによって、生産者としてではなく、消費者として「汎用教育」を受けているのかもしれません。


 資本主義社会で、資本効率を最大化しようと思えば、商品の多様性は無くなります。その商品を利用する消費者、つまり人間が没個性化していくのは、当たり前でしょう。みんながユニクロの服を着て、マクドナルドを食べていれば、そういう人間になりますよ。テレビを見て笑い、ディズニーランドに行き、マッチングアプリで結婚して子供をSAPIXに入れて就職して、再び、汎用消費者を生み出すのが最も生きやすい、環境適応した生き方なわけです。

 しかし、毎度、言うように、いくら環境が変われど、人間の遺伝子は数万年来、変化していません。なので、この「環境」に合わない人間は相変わらず、母胎から生み出される。それを我々は、ADHDとかHSPとか、さまざまな名前をつけていくわけです。

 でも、これらの環境適応しない人間は少数派なので、精神病院にでも閉じ込めていた方が全体としては最適解になるんです。多数派が正しい、というのが民主主義社会です。ということで、資本主義と民主主義は実に相性が良いわけです。資本主義は、消費者民主主義です。多数決です。

 環境適応していない人間の遺伝子を、別の言い方をすれば、人間本来の生き方とか、人間性とか、そうも言えるわけですが。そして、その数万年前の人間性は、現代社会の環境には適応しなくても無くなりません。でも適応していないから、矛盾が生まれます。そこにドラマが生まれるわけです。

 そして我々のほとんどは数万年前の遺伝子のままですから、そこに感動するわけです。小説や映画は、そこらへんの矛盾を描くわけです。ユニクロとマクドナルドで幸福に生きている消費者は、映画の主人公にならないわけです。


 現代の生き方というのは、この環境に合わせて、汎用的になることを目指すわけです。積立NISAとかするわけです。高校でも金融リテラシー教育とか、始まるそうですね。ま、そういうやつです。

 一方で、全く蔑ろにされているのが、最初に言ったように、コミュニケーションです。仲良くなること。同い年だけではなく、自分よりも年上の人、年下の子供たち、そして異性とも、色々な人と仲良くなること。これが一番、大切だし、幸福に結びつくスキルだと思うのですが。さて、どうしたら良いんでしょうね。


 希望は、放っておくと、人間は仲良くなるんですよ。人間の本能的なもので、それはすごいなと思うんですが、全く知らない人とでも、一緒に仕事をしたり、飯を何回か食べたりしたら、仲良くなるものです。適当におしゃべりして、仲良くなれるんです。

 ほとんどの人間には、そのような能力が備わっているので、そういうスキルを伸ばそうとするよりも、ただ、そういう環境を整えてやれば、種が発芽するように、自然とコミュニティができるのかなと楽観的に、僕は思っています。またあした。

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