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大谷2戦連続ホームラン・・・みたいな詐欺タイトルのネットニュースがなぜ発生するのか

 もうシーズンも終わりましたが、MLBが好きでネットニュースがあると反射的に開いてしまうのですが。詐欺タイトルが多くて。ネットニュースって、スマホで見ていると、最初の10文字くらいしかタイトルが見えない。で、「大谷2戦連続ホームラン・・・」とか書いてあるわけですよ。クリックするでしょ。すると「2戦連続ホームランなるか、注目のアストロズ戦」とか書いてあるわけですよ。

 だんだん法則がわかってきて、本当に打った時は最初に「【30号2ラン】大谷2戦連続・・・」みたいになっています。さて、こういうタイトル詐欺ネットニュースがはびこる原因の一つに、日本語の特性があるな、と思いまして。どういうことかというと、日本語は語尾でいかようにも意味を変えられるんですよ。だから、話し始めた最初は、何を言っているんだか分からない。

 例えば「大谷はホームランを打ちました」が、「打ちましたか」と、語尾に一音を加えたら疑問文になる。「打ちましたね」になると同意を求める。「打ちましたよね」になると確認になる。なんでこういう言語形態になったんだろうかと思うと、相手に合わせることが出来るからじゃないだろうか、と思うんです。それは、島国の村社会で、主要な作物が稲であった、ということに由来すると思います。

 日本列島は基本的に、とても平和です。大陸諸国と比べると、紛争で無くなる人の数は圧倒的に少ない。その島国で最も被害が出るのは、飢饉だったと思います。そして稲作をするのであれば、共同での水管理は欠かせません。田んぼづくり、田植えなども、共同でやらなければいけない。なぜ村でまとまって田植えをするかというと、一気にやらないと生育に差が出るからです。個々人が、個々人の田んぼの田植えをすると、一気に田植えが出来ないから、生育においてマイナスです。だから、共同作業になるんです。

 最も避けたいのは飢饉、その手段は稲作、そのために必要なのは皆が仲良く意思疎通してまとまること。仲良くとは言わないまでも、仲が悪くなってはいけない。それが生存戦略です。さて、このような環境で言語がどう発達するか、というか、言語の目的は何か。仲良くすることです。このことにおいて日本語はめちゃめちゃ有能です。だって、相手の顔色を見ながら、しゃべる内容を変えられるんですから。語尾に一音をつけるだけで、意味をガラッと変えて、相手に合わせることが出来るんです。

 その相手の気持ちは、どうやっておもんばかるかというと、目です。人間、というか生物としてのホモサピエンスは、霊長類の中でも珍しく「白目」があります。この白目部分があることにより、相手の視線が分かる。狩をするときにも、黙ってアイコンタクトできるので有効ですが、この白目によって相手の感情もより微細に把握できます。目が泳いだりとか、眉をひそめたりとか、目は気持ちを現します。

 ちなみに欧米文化では、目よりも口の形で表現します。絵文字も、日本語の笑顔は(^ ^)で、英語は:Dです。英語は、横に見てください、点が目でDが口です。日本は目で表現、欧米は口で表現です。で、目の表現は無意識ですが、口の表現は意識的です。笑顔の「作り方」で、口角を上げるというのがありますが、意識で動かせるんです。目を意識で自在に動かせて感情表現できる人は、滅多にいません、出来るならそういう人は役者にでもなったら良いと思います。

 話を欧米に向かわせますが、じゃあ英語の表現はどうなっているかというと、文章の頭で意味を決めます。最初に決めるんです。I don'tとか、疑問ならDo youとか。文頭が最も大事で、文章全体の意味を決める。その欧米の生存状況はどうだったかというと、インド・ヨーロッパ語族の源はインド亜大陸、大陸ど真ん中で紛争も絶えない流浪の民族。おそらく、日本列島よりは「戦争」がリスクだったと思います。戦争する場合に大事なのは、正確で素早い情報伝達です。そのためには、文頭で意味を決定できた方が有利です。

 当然、日本語が目指すような「仲良く」は薄くなります。でもいいんですよ、稲作をするわけでは無いし。牧畜や小麦は、稲作ほどの共同作業は要りませんので、仲良くなくてもいいんです。戦うときに意思伝達できて役に立つ仲間であれば、それでいいんです。ま、そんなことを考えてやっているわけはないと思うけど、楽天とかが社内英語公用化というのは、戦う集団としては正しいと思います。日本語と英語では、明らかに喋っている人の人格も変わりますから。

 僕も英語をしゃべる時は、自分の人格が変わっているなと思いますよ。はっきり主張するようになる。そりゃ、そういう道具を使えばそうなるよね、というだけです。包丁を握れば料理をしたくなるし、日本刀を握れば(握ったことないけど)人を斬りたくなるんじゃないですか。言葉も道具ですから、その道具というハードに、気持ちというソフトが合わせられるんです。だから気持ちが変わるんです。

 ということを踏まえますと、日本人が表面で欧米を真似て文化を変えることの意味の無さが分かるでしょう。相手の目を見て話しましょう、とかも、欧米スタイルならいいんですよ。目がそれほど重要じゃないし、また、視線を合わせることで、私はあなたを攻撃しませんよ的な意味がありますから。そして感情は口ですから。だからマスクも嫌うんですけどね、彼らは。でも日本人にとっては目が重要なので、おいそれと見ませんよ。無理に見たら視線恐怖症になります。だって、意味がデカすぎるから、目を伏せるぐらいでちょうどいいんですよ。

 我々は日本語をしゃべっていて、今後も使い続ける予定だし、それなら、それなりの社会構造になるんです。冒頭で言ったスマホニュースの詐欺タイトルとかも、欧米の作った仕組みで日本語運用するから、詐欺タイトルになるんですよ。文頭で意味を決定する英語なら、それでいいんですけどね。ま、その反動か、欧米化の一端か、スレタイの冒頭の【悲報】とかも生まれましたが、あれをまたギャグ的に運用し出すのも、日本ぽいなと思います。良い悪いではなく、そういう文化です。またあした。

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