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火の使用で、人間は体毛を失ったのではなかろうか

 焼肉。美味しいですね。牛とか豚の肉を切り取って焼いたものですが、おそらく焼肉を見れば、ほぼ全ての人が、文化の違いとかを超えて「美味しそう」と思うはずです。

 でも、その一方で不思議なのは、生きている牛や豚を見て、我々は「美味しそう」とは思わない。むしろ、かわいいとか思っちゃう。殺すのだって、普通は嫌です。牛や豚を殺さなければ焼肉は食べられないのに。なぜ、こんな矛盾が起きたのだろうか。


 本能というものは、食べるべきものを見たら(もしくは嗅いだら)、「食べたい」という衝動を我々に与えます。人間以外の動物だって、そうです。

 ヤギは草を食べたいと思う。ヤギが草を見たり嗅いだりして、草があるという情報を得る、脳がその草を食べるべきだと判断して、脳内物質を分泌させてヤギを動かす。猫だったら、ネズミを見たらそういう衝動が働く。ヤギがネズミを見ても、また逆に猫が草を見ても、そういう衝動は働かない。食べるべきものに対して「食べたい」という衝動が働くわけです。


 匂いで言えば、我々は焼ける肉の匂いを嗅いで、良い匂いだと思う。香ばしい匂いだとか思う。でも、生肉を嗅いで、食べたいとは思わない。むしろ、臭い(嫌な匂い)と思う。いわんや、生きている牛や豚を嗅いで、美味しそうなんて思わない。

 となると、我々、人間の本能というのは、すでに「焼けた肉」を食べるようにアップデートは済んでいる、ということじゃないでしょうか。人間の本能は「火の利用」はすでにインストール済みなのだと思います。


 我々は火を見て、落ち着くんです。だからキャンプで焚き火をするんです。火事なんかも、大変と思う一方で、美しいとか感じてしまうこともある。本能的に、火を良いものとして感じている。それは、調理をし、暖まり、他の動物や虫から身を守るためのものだったんだと思います。

 火の使用というのは、考古学的には20万〜40万年ぐらい前からありまして、それは、現生のホモサピエンスの登場以前の話です。ホモエレクトスとか、そのあたりの、現生人類では無い人類も火は使っていた。

 一応、説明しておくと、「人類」というのはたくさんいて、ネアンデルタール人とか、デニソワ人とか、フローレンス人とか。筋骨隆々のマッチョマン人類とか、小人みたいな人類とかいます。これは、我々の先祖ではなく、枝分かれしたもの。現生人類とは全く別の「人類」が、かつては存在したわけです。


 今、地球上に人類は人間(ホモサピエンス)だけですから、人類=ホモサピエンスですが、10万年前の世界は違った。色々な「人類」がいた。二足歩行で火を使っていた。で、それが何万年かのうちに、ホモサピエンス(我々)以外は滅びたわけですが、おそらくそれは、我々のご先祖様が他の人類を駆逐したのだと思います。

 生息域を広げた結果、自然に(殺されたわけではなく)絶滅したのか、殺されたのか、ま、その両方ともあったでしょうが。いずれにせよ結果として、今の世の中にはホモサピエンスしか残っていないわけです。


 ただ、その、我々ではない人類も火は使いまくっていた。そして、我々も本能として「火」を感じ取っている、明らかにインストールされている。ローフードという、火を通さない調理をする健康法も流行っていますが、我々の本能を見るに、それは間違っていると思う。

 もちろん、本能どおりに従えば良いかというと、それはまた別の話だけど、ローフードは「人間本来の食生活」では、ありません。だって我々は、焼けた肉を香ばしいと感じてしまうのだから。肉が焼ける音を、良い音と思うのだから。


 でも、その一方で、豚や牛を見て「美味しそう」とは思わない、また、捕まえてやろうとも、普通は思わない。ということは、狩猟は「火」ほど、本能にはインストールされていない、ってことです。

 ま、血気盛んな人で、動物を見て「捕まえよう」と思う人もいますから、そういう人は狩猟本能がインストールされているのでしょうけど。これも、全員では無いのは、人間は群れの動物であり、それぞれで役割が違うからです。みんなが牛を捕まえようと思う必要は無い。でも、焼肉を食べるのはみんなだから、それを美味しいと思う本能はみんなにある。


 火の使用が本能に組み込まれているから、我々は、熱いものを食べられるし、お湯も飲める。むしろ、好んで飲むほどです。猫が猫舌なのは、本能に「火」がインストールされていないからです。

 また、焚き火のはぜる音で、我々はリラックスする。安心するんですよ、木が燃える音を聞いて。すごいことですよ。そんな生物、他にいませんから。ホモサピエンスの最大の特徴は「言語」だと思いますが、もっと広げて、「人類」の特徴となると「火を使うこと」だと思います。


 もし、30万年前に宇宙人が地球を観察したら「火を使うサルがそこらじゅうにいる」と思ったんじゃないでしょうか。火を使うことが人類の特徴です。火を使えば、食べられるものの範囲が広がります。焼いたら食べられるものというのは、たくさんあります。

 その結果、人類の消化管も短くなった。消化にエネルギーを使わなくてよくなったから、その分のエネルギーを脳に振り分けることができた。火の使用によって、身体も変化していったのです。


 さて、ここで想像を膨らませると「なぜ人間には体毛が無い(というか薄い)のか」という疑問。その答えも「火」ではないか、とも思う。

 体毛は何のためにあるかというと、一番は保温です。哺乳類が爬虫類より優れているのは、気温の低いところでも活動できることです。夜とか、寒いところとか。そのために体毛があるわけです。体毛が無かったら、体温がすぐに奪われてしまって、活動できません。


 イルカやオットセイのような、水で生きる哺乳類が体毛を失うのは、水の中では保温に毛が役立たないからです。その代わりに、保温のための皮下脂肪を蓄えます。皮下脂肪は保温のためですので、毛がある動物では発達しません。豚に皮下脂肪があるのは、家畜化して毛を失ったからだと思います。

 ハダカデバネズミも体毛を失っていますが、あれも地中の巣という、温度が高い環境にいるから、体毛の必要が無くなったのでしょうね。ともかく、体毛の最大の目的は「保温」です。その必要がなくなれば、毛を失います。


 保温を目的とした体毛は、一方でその弱点として、熱を発散できないから、暑くて動けないということも起きます。一般的に、哺乳類が長距離走が苦手なのは、熱を発散できないからです。

 100メートル走なら、人間より速い哺乳類はたくさんいますが、マラソンで人間より速い哺乳類はほとんどいません。体毛があると熱を発散できずに、熱中症になるからです。短距離では体温は問題になりませんが、長距離になると、いかに体温を発散するかという問題が発生し、毛皮があると、それを解決できません。毛皮のコートを着てマラソンは走れません。


 ということで、体毛を薄くすれば「熱を発散できる」という利点がありますが、「保温する」という利点も失います。でも火があれば。そう、我々人類は火の利用をすることで、体毛による「保温」の必要が無くなって、体毛を失ったんじゃなんかろうか。それに火を使うと、体毛が燃えるし。

 うちで昔、飼っていた猫が、薪ボイラーの前で冬は暖まっていたんですが、毛が焦げるんですよ。でも、気づかないんですね。猫。危ねぇなと思っていたんですが。毛が燃えても気づかないんですよ。だから毛が無くなっていったんじゃないでしょうか。危ないし。


 話を食肉に戻すけど、初期人類は「屍肉あさり」をしていた、という説があります。人類は、大型哺乳類を狩猟できるほどの、知恵や力は無かった(ホモサピエンスには、ありますが)。なので、大型の捕食獣(ライオンとかチーターとか)が食べた残りを食べていたんじゃないか、という説です。

 骨の中にある骨髄を、石とかで割って、食べていたんじゃないかという話もあります。とても説得力のある説で、狩猟をしていたよりは、屍肉あさりの方が正しいと思います。そうすれば、殺すのが嫌だという我々の気持ちの説明もできます。

(殺すのは嫌だけど、食肉になると、火が通っていない状態──例えば豚や牛の塊肉を見ても、我々は、美味しそう、欲しい、とか感じます)


 で、これも、火ありきの話です。肉も、腐りかけていることもあるかもしれない。そういう中で、火を使って、多少はマシにしていた。食べやすくも、なった。そうやって、消化管を短くしていく一方で、毛は無くなっていった。

 また、我々は、これも本能的に「ひらけた景色」を美しいと感じます。昔のWindowsの壁紙で、草原がありますが、あれを美しいと感じます。

 草原って、焼けた跡ですよ。火を使うと、山火事が起こります。するとジャングルが焼けて草原になります。その景色を我々は本能的に、美しいと感じるのです。また、焚き火をすると、虫も来なくなります。体毛の役割の一つは、虫から皮膚を守ることだと思いますが、これも火によって代替できるわけです。


 我々の感覚──何を美味しいと思うか、どんな風景を美しいと思うか、何を聞けばリラックスするか、それから「我々の遺伝子が想定している生活」を逆算していくと、おそらく、我々絵の遺伝子はすでに「火」の利用を取り入れており、それはホモサピエンスに満遍なく行き渡っている。

 となれば、それは数万年ではなく、数十万年のスケール、ホモサピエンスがホモサピエンスとなった時には、すでにインストールされていたレベルの本能です。火が人類を進化させた。だから焼肉は美味しい。はい。またあした。

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