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山修行がおすすめな3つの理由

先日、大山にて内省合宿なるものを一人で行いました。内容は、内省としてジャーナリング、早朝の登山、写経などです。その中で、真っ暗闇の中の早朝登山をやってみてよかったことを書いてみたいと思います。

その前に、なぜ山を登るという発想に至ったのかを書いておきます。

なぜ山を登るのか?

はぐくむ代表の小寺は、大の修行好き。山伏修行という何やら怪しげな修行に毎年行っていると言います。中には死ぬかもしれないやばい修行もあるとか。。

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ただ、昔は山伏は日本各地にいたとされ、(数字は忘れてしまいましたが)本職を持ちながら山伏として活動していた人も合わせると人口の結構な割合を占めていたとか。日本は古来から山岳信仰があり、山と共に生きてきた民族です。

今回登る山は、神奈川県にある大山(おおやま)という霊山。江戸の人口が100万人の頃に、ひと夏で20万人が行楽で訪れたと言われている。大山寺には不動明王が祀られています。

最近は自分自身のエネルギーに停滞感を感じていたので、流れを変えるために、山で自分に向き合ってみようと思ったのです。

1. 不安がなくなる

深夜4時に宿坊を出発しました。当然ですが、あたりは真っ暗。人通りはゼロです。そんな中、登山道に向かう道を歩き始めてすぐ、女性の悲鳴のように聞こえる猫の鳴き声に驚かされたり、鹿さんと遭遇したり。

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早速怖くなってきました。

それでも、登ると決めたので、前に進みます。

登山道に入ると、外灯がなくなり、本当に暗闇になります。わずかな月明かりと自分の目を頼りに進んでいくわけですが、霊山なので、しめ縄があったり、御地蔵さんがいたりするわけですよ。

めっちゃ怖いんです。

ビビりながら進んでいると、道に何か横たわっている!と思ったら月明かりに照らされた岩だったり、誰かいる!と思ったら木の模様だったり。自分が進む先を見るとありもしないものが見えてくるんですよね。そんなことに気を取られていると、足元の岩につまずいてこけたりする。

一方、自分の足下をしっかりと見て、一歩一歩前に進むことに集中していれば、あんまり不安や恐怖を感じないことに気づきました。人生も同じだと僕は思いました。

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最近の僕はというと、先のことを考えて不安になったり、何かを始める時に失敗した時のことが頭に浮かんで苦しくなったり、未来のことに目が向いて、自分のエネルギーが下がることが多かったです。未来のことを考えること自体はとても大切なことですが、山を登ると決めたら、しばらくは信じて登り続ける。手探り状態の中で、少し先のことを心配して不安になるよりも、いかに目の前のことに集中して一歩を積み重ねられるか。

不安がなくなると書きましたが、本質的には、学ぶ姿勢があれば山は必要な学びを与えてくれるということだと思っています。

不安がなくなるという話でいうと、恐怖を感じながらも、一歩一歩進めば頂上につくんだ、別にお化けも出ないし、獣に襲われることもなかった。自分が心配したことの全てが現実には起きなかった、ということを体験することを通じて、人生に対しても「大丈夫だ、なんとかなる」という感覚が高まりました。

2. 直感力が高まる

動物が地震の前におかしな行動をしたり、地震が起きる前にすでに避難をしていたり、そういうやつありますよね?あれは動物的な直感が働いているのだと思います。科学的に、理論づけられているものもありますが、要は人間の意識では理解できないこと(科学でわかっていないことなのか、そもそも科学という概念では捉えられないものなのかはさておき)を無意識がキャッチしているという点が重要です。人間も、普段から無意識がいろんなものをキャッチしますが、都会で近代的な暮らしていると、音、匂い、食べ物、いろんなものがアンナチュラルで、どうしても感覚が鈍くなってしまいます。

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山に登ると、感覚が研ぎ澄まされます。特に夜は視覚情報が少なくなるので、いろんな感覚に意識を向けます。なんせ獣が怖いですから、聴覚は鋭敏になりますよね。岩に躓いて何回もこけそうになるので、足の感覚も研ぎ澄まされてきます。風の流れもよくわかります。自分の中の動物性が表出してくるのを感じます。

山頂からの下りは、できるだけ早く、なんなら走っておりました。急な岩場を下っている時は、足の感覚やバランス感覚、岩場を見る視覚に全神経が集中して、本当に自分が動物に戻ったようで、生きている感覚がしました。

ちなみに、前日の夜は断食をしていたのもあり、宿坊に帰ってきてから鋭敏になった味覚でいただく御坊料理は格別でした…

3. エネルギーが高くなる

はぐくむの代表、小寺はからこんな話を聞きました。

自分の先達は70を超えていたが、山を登るのがめちゃくちゃ早い。自然のエネルギーを吸いまくっているから、歳をとって肉体が衰えていても、精神エネルギーが半端じゃない。

そもそも、山伏修行は「山岳が持つ自然の霊力を身に付ける事」を目的としています。

僕自身も、登りながら感じていたのは、だんだんと体が疲れてくるにもかかわらず、足が動く。帰ってきて日常に戻っても、心がとてもすっきりとしていて、肩の力が抜けていて、かつエネルギーが湧いてくるような状態だなと感じています。

こればかりは体験してみて、みなさんがどう感じているかだと思うので、個人の感想をのべるに留めておきます。ぜひ体感してみてくださいね。

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