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父が倒れた

ガターン!と突然大きな音がした。

父の姿が、見えない。

慌ててダイニングを覗いたら、机と壁の間で苦しそうに倒れていた。

・・・

父は、体が動かない。半分だけ、動かない。

ちょうど2人目の子供(娘)が生後10か月くらいのころ、父は突然、仕事先の名古屋で倒れた。飲みすぎ、食べすぎ。想像通りの自堕落な生活のオンパレードの結果の、脳梗塞と糖尿病。当時、私のハラワタは煮えくり返り、意識を取り戻した父を見舞いに行ってから早々、なにしてんねん!と怒りまくった。俺だってびっくりしているんだと言う父に対し、なんやねんそれ!再三の周囲の注意も聞かずに生活してたのは誰やねん!と病院で喧嘩もした。

倒れた時期は、2019年10月。それからしばらく入院後、父は大阪に戻ってきた。倒れた直後はふにゃふにゃしたしゃべり方だったが、今では生前と同等のレベルまで会話はできる。だが、首から下の右半身は指先が時々ピクっと動かせる程度で、ほとんど全く動かない。

倒れて半年くらい経った頃、わたしは note で父のことを少しだけ書いたことがある。

そして今日。2023年7月7日。また、父は倒れた。今度は脳梗塞の転倒ではなく、自宅でバランスを崩して転倒したパターンである。

・・・

大阪は、雨予報だった。だから娘の七夕祭りのイベントが中止になったら悲しいなぁと思って、たまたま実家で私も我が子も、一緒にご飯を食べる約束をしていた。実際に雨が降り始め、イベントは中止。だけど予想通り、イベントは中止になっても娘は大きくしょんぼりをすることもなく、久しぶりの祖父母との夕食を嬉しそうに過ごしていた。

あらかた片付けが終わった後に、父は倒れた。幸い怪我はない。でも、そのあとのやり取りで父と母との間で少し、空気がピンと張りつめた。

当初、母は2階で布団を敷いていた。私は1階のリビングで子供たちに絵本を読み聞かせていた。だから誰も、父が歩き出すときの様子は見ていない。ガターン!と突然大きな音がした。父の姿が、見えない。慌ててダイニングを覗いたら、机と壁の間で苦しそうに倒れていた。

「大丈夫!?どうしてこけた!?」
「いやぁ。。。滑った。。。」

床には、座布団が落ちている。どうやら足を乗せてしまって滑らせた、と本人は言うのだけれど、、そんなことある?なぜ、こけた頭側にあった座布団がそもそも床に落ちている?色々と腑に落ちない。そこに母が降りてきた。

「ありがとうミサ!で、お父さんはなんでこけたの!?」
「滑った・・・」
「いたいのどこ?」
「右足」

右足が下、左腕が上の向きで、たまたま壁が当たる部分が肩のあたりだった。頭は打っていないようである。右足の脛(すね)のあたりを、ダイニングテーブルの脚のところにぶつけたらしい。右足の足首から脛の部分までは、黒くて硬いプロテクトをしている。直接足はぶつけていないようだけど、、、介護用具はよくできているなぁ。プロテクトがなかったら骨もやられていただろう。そう思うとゾッとする。まずは流血もなさそう、激痛もなさそう。

でもなんで、こけたんやろう。こけたタイミングで足が向いている方の椅子に、もともと父は座っていた。位置から推察するに、前の方に体重をかけ、足を滑らせ、座っていた椅子とは反対側の方に前のめりになってズッコケたことにはなるのだが。。。

おかしい。脳内でイメージすればするほど、『動かない右足』で体を支えようとしたタイミングでバランスを崩したように思えた。しかし誰も説明できる人間がいない。本人も滑ったことしかわからず、気づけば倒れていたような状況で、誰も目撃者がいないのである。

とにかく右側が下側にあり、細い隙間に挟まったように父はコケた。自力では体をひねられない。細い路地のような空間にサンドイッチされているような恰好で、動かない右側が完全に下になっている。脱出ができない。

仕方がないので壁の一部にあるスライド式のドアを反対側に移動させ、リビングのベッドにズリバイできるくらいのスペースを作る。そこで体を一緒に起こし、どうにか左手で這い出てもらい、ベッドの前に母は父を座らせた。

と、急に父はまた立ち上がろうとした。ぐらっとした父はベッドの上に突っ伏しかけたが、かろうじて母がおなかの部分を抱き上げ顔面強打は免れた。変な形で体もぐにゃりと曲がりそうなところだったが、ギリギリセーフ。そこで母が一喝する。

「待ってって言ってるでしょ!こっちの体制が整ってないのに!」
「でも大丈夫だってば!」
「だからこけたんでしょ!軸足は右じゃないってば!」
「いや!この場合だったら右だ!」
「どの場合だって軸足は左よ!」

ここで私は、ようやく気付いた。なぜ父がこけたのか。

「お父さん」

不機嫌になる父をどうにか説得し、左足を軸にして、母は父の腰と腕を支える。そしてイチ、二の、サンっという掛け声とともに父とタイミングを合わせた。父の腰をさらに引き上げ、父の左足の力も借りて、くるっとお尻をベッドの上に座らせる。

少し落ち着いた後、私は父の前にかがんだ。

「いつも、どういう風に立ち上がるの?」
「この場合は右足なんだ。ほかは左足なんだけど」
「お父さん、それはあり得ないと思うな。だって、右足動かないでしょ」
「でも」
「ほな聞くけど、動かない足どっち」
「こっち(左を触る)」

・・・なぜそこで左を触る。

「お父さん。見てみてね。ミサの右足がケガしてるとするやん。
 右足にヒビとか骨折してると思ってね。
 それで右足から立とうとしたら、ミサはどうなると思う?」
「・・・」
「いやー、想像したくないけど絶対立たれへんと思うねん。
 右足に激痛走るよ。右が動かないならなおさら、立ち上がられへんよ。」

ここでぐにゃりと、右足から立ち上がろうとするとバランスを崩すしぐさを見せる。そして私は、続ける。

「けがしていない人でも、お父さんでも、右足が使えないなら、右足からは立てない。でも、左足からなら、立てる」

そういって、片足だけでフラッとだけど、右足を浮かせて左足だけで立ち上がるしぐさを見せると、父は黙って悲しそうな顔した。

「トイレに行ってくる」

・・・

結局その後、父がトイレに行っている間に母と話をした。何度言っても、軸足は右足のはずだと言い張ることは、今までにも何度もあるらしい。今回のやり取りの中でもそういえば気配はあったが、、お気づきだろうか。父の「右」と「左」が、時としてちぐはぐになることを。

父に悪気は全くない。だけど、おそらく「右」と「左」の「言葉としての理解」と、「実際の動作」が完全にはリンクしなくなってしまっている。「動かしやすい方 = 利き手 = 右」の方程式が崩れてしまい、「動かせる方 = 利き手 = 左」と脳が翻訳しているようなのである。娘に右手でお箸を持つと言いながらお箸を持つ手はこっちでしょ?と言って左手を右手と教えようとしたこともある。それくらい、父の中で動く方は左手なのに、右手と表現することはしょっちゅうである。

今回の軸足の件も、リハビリの時に教えてもらった知識の左右を逆に覚えているのだろう。そしてこれが一番厄介なのだが、言葉と物理的な左右の認識が一致するときもあれば、逆になることもある。一致した場合、右として覚えているものは本当の右側で動かそうとしてしまう。でも本当の右側は、足も手も動かない。そうして今回のようなちぐはぐが、起きる。

・・・

たまたま今回は怪我をした時の話を引き合いに出せたし、父も大きく機嫌を損ねることはなかった。だけど後から思い返してゾッとするのだけど、、子供たちが下敷きにならなくて本当によかったと思う。二次被害、三次被害はいつでも起こりえるんだなと思うと、怖い。

私はまだ、父の介護の具体的な手段について、直接プロから聞いたことはない。たまに母から断片的に聞くことはあったけれど、その母も最近は右肩に激痛が走るらしい。先日も痛み止めの注射を病院に打ちに行っていた。

覚悟はしていたけれど、私もそろそろあの激重の父を介護できる状態にしておかないといけないのだろうなぁ。母はできるだけ、私にはさせまいとするけれど。そうも言ってられなくなってきた気もする。子育てに極力私が専念できるようにと負荷軽減してくれる母の優しさに、今までは甘えていたところは正直ある。でもそろそろ。そろそろなのかもしれない。

そうはいっても、自分自身が健康で元気でいること。まずはこのベース作りだけは怠らないに越したことはないですけどね。ちょっとずつ、私も関わらないと前には進まないのだろうなぁ、と思った。

次のイベントは、晴れるといいな。

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