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終わる自由と母の葛藤

母を思うと、いつも胸がぎゅっとなる。いよいよ5月から介護生活が始まる。日が近づくにつれ、自粛要請範囲も強化されているこの状況でも訪れる「自由の終わり」と「母の葛藤」を今日は書く。

父が倒れてからの母の変化

昨年、定年退職を控えて実父が倒れた。あれから約半年たつが、リハビリセンターでも結局右半身はほとんど動かない状態。再び動くことは叶わなかった。母も娘たちも皆、せめて杖で歩けたらと願ってはいたのだけど、どうやら車いす生活になるらしい。

父が倒れた後、母はピアノの仕事をパタリとやめた。近所の子供たちが毎日何人も訪れていた我が家。今日はこの子があんなことをした、こんなことがあったのと、いつも面白おかしく話していたがそんなネタ元は、もうない。考えなければならないのは、父の介護用ベッドをどこに置くか、だった。

幸い、数十年も慣れ親しんだピアノはまだ手放さなくてもよくなった。でも家の中のあちこちに手すりや支えが設置されたり、様々な工事をしなければならない。外では車いすの生活になるというので、狭い実家にはどこに何を置くかで母の脳内は毎日家具パズル状態である。そうして病院と行ったり来たりもしつつ、気が付けば母はほとんど人と会うことがなくなっていた。

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ある時夕食を食べに我が家に来た時、母は心の中のいろいろな話題をたくさんたくさん話してくれた。大人にしか分からない会話だから、娘も息子もきょとんとしている。いたずらをしたりして、注意を惹くのに彼らは必死だ。それでも母は、これまでのことや父のこと、基本的には全部笑い話なのだが楽しそうにしゃべっていた。

主人に聞いてみた。

私「お母さんすっごく楽しそうだった。ありがとう!」
彼「よーしゃべってはったよな。前よりも」

やっぱり。そうなのである。母の会話量が圧倒的に増大していたのである。

新型コロナウイルスの影響と、終わる自由

大阪に住む私たちは、緊急事態宣言の対象にもちろん含まれている。宣言が発せられるよりも前から、私たち娘や孫は父に会えずにいるし、母自身も面会禁止状態がかれこれ長いこと続いている。それでも着替えや諸々の洗濯物やら書類のやり取りは必要だから、母だけ毎日リハビリセンターには通っている。でも私はその建物に近寄ることすらできない。

新型コロナウイルスの影響で、遠方で暮らす認知症の祖母にも会えない状態も続いていた(母にとっては、実母)。幸いそちらは母の弟が近くにいるので祖母自身は全く一人ということではないのだが、やはり大阪府外との行き来も自粛要請ではあるし、状況も状況なので私たちは会いにも行けない。

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母が自由な時間は、思った以上に短かった。車窓から見える桜の景色、爽やかな新緑。外に出かけたくなる気持ちを煽るかのような青空。なんて残酷なんだろうと思わずにはいられない。

11月に父が倒れてから、母は本当に忙しかった。虫が湧くほどの汚い部屋をすべて掃除し、ありえない量のゴミを片っ端から捨て続け、片道2時間を何度も往復してお見舞いと手続きに追われた母。リハビリセンターがやっと見つかり、さて自由な時間ができたと思った矢先の新型ウイルス事件である。

母の葛藤

せっかくいろんなところに行きたかったのにな。
友達にも会いたいたかったな。

今はもう言わないけれど、新型コロナウィルスがまだ広がり始めた頃、母はぽそっとつぶやいた。やりたいことリストを作ろう!とLINEの吹き出しで強がってはいたけれど、そうして作った時期からもさらに制限は強まった。

大好きなピアノは、何とかまだ捨てずにおくことができている。しかし父の半身不随は実に厄介。お金もそこそこ吹き飛ぶらしい。いくら要介護2で補助金が下りるとしても、補助金対象外の工事も余儀なくされているらしいのだ。仮に自粛制限がなくなっても、お金の問題も次第に切実になるだろう。

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が、今はまだ父はリハビリセンターである。母は、どんどんすることがなくなってきた。退院が間近になって、手続き等も減ってきた。遊びを見つける天才だから多分こんな状況下でも結局楽しむ方法は見つけていくんだろうけれど、やっぱり暇なのだろう。実家近くまで子供たちと散歩すれば、即座に気配を察知する。玄関からひょこっと顔を出す。めっちゃくちゃ嬉しそう。

極力不要不急の用事では会わないように。そう言われてはいるけれど、正直なところ母の今のメンタルは、やっぱり私は不安である。見えないけれどね。すごく笑っているけどね。いつも以上に楽しそうな母を見ると、ほんとに胸がぎゅっとしてしまうのである。

これから

5月に父は、自宅に戻る。これだけは決まっている。新型コロナウィルスが収束しようがしていまいが、退院の日取りだけは変更は今はない。

60歳、さあこれから、とワクワクしていた母。単身赴任でずっと一人で生活をしていて、あと一息と思っていた矢先の出来事。何度も思うが父が自制しなかったのが一番の原因であるのに、頑張らないといけないのは母である。そんな父に対して愛のこもったヘルプする気持ちに私はまだ、自信はない。

両親に歩いて会える距離でよかったなとは思う。でも、ウイルス事情でどこまで制限が強まるのかは正直誰にもわからない。母の制限付きの自由は、もう終了までにカウントダウンが始まった。ウィルスさえなければと思うこともあるけれど、思ったところで何も変わらないのも現実である。やっぱり私たちが楽しいエピソードを母に届けるしかないなと思う。

いつも同じオチだけど、ますます今は、もうこれしかないのである。限られた状況下だが、大切な父と母が平和に二人暮らしができるように、子供たちの力も借りながら楽しい時間をいっぱい作ろう。心にだけは、誓ってる。

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