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地域政党が代表選挙をやるかどうかは「どうでもいい」

先日書かせていただいた以下の記事、多くの方がお読み頂いたようなので、感謝申し上げたいと思います。


今回は、この記事の補足として、地域政党がフルスペック代表選挙をやらないことは、ハッキリ言って「どうでもいい」ということを申し上げたいと思います。

■都民ファを貶めるがための批判ではない


前回の記事において、都民ファの党内民主主義の問題についても指摘したところですが、私としては、都民ファの党内民主主義がおかしいから悪なのだ、というような意図は一切ありません。


■地域政党において代表選挙をしないことは「あり得る」

そもそも、地域政党において党員参加の代表選挙を行わないという事例は、決して珍しいことではないのかなあと思います。
「維新の会」にせよ、「減税日本」にせよ、代表選挙を行わない中で成り立ってきたことは紛れもない事実でありますし、「都民ファ」のみがおかしいということもないように思います。

■定期的な首長選挙


そもそも、地域の長足る「知事」にせよ、「市長」にせよ、何年かに一度はその地域の有権者による選挙を経るわけですから、仮に党員参加の代表選挙を経ていないにせよ、然るべき民主的な正当性は保持していると考えることも可能だし、一つの論理構成かなあと思います。

偶然、それが記載された良記事を見つけたので、引用しておきます。
浅学非才な私の見立てとは異なり、極めて深い知見に基づいて、地域政党と党内民主主義について記載があります。

「地域政党」と党内民主主義の関係性 なぜ「都民ファースト」「大阪維新」は、代表選無しで生き残れるか? | おとな研究所 https://otonaken.com/archives/10391


ぜひ、お読み頂ければと思います。私の記事などよりも、余程の価値はあるかと思います。

■今回は「国政化」の話


しかし、問題の本質はそこにはないかと思います。今回は、都民ファとして国政進出を考える上で、国民民主党というプラットホームを生かせるのではないかという話です。つまりはそこに、地域の論理は関係がないかと思います。


■「国民政党」たる要件


地域とは切り離し、国政展開を考える上で「フルスペック代表選挙」が必要なのか、それを都民ファ側が認識しているのかがポイントです。

これまで地域政党でやってきた以上は、地域の論理でフルスペック代表をやらないことには一定の合理性はあったと言えますが、国政化ともなるとそれが通用しないのではないかなあと思います。

まず、野党共闘との違いを考えます。野党共闘はそもそも「階級政党」同士の連帯であり、一部の有権者の声しか聞かないため、結果として政策は空想的になり、政権担当能力も持ち得ないという状況にあるかと思います。

これに対峙する現実的な、自民党に変わりうる新たな枠組みとして、「中道勢力の結集」が必要になるわけです。「階級政党」の反対に位置するものは「国民政党」です。それならば、広く国民の声を取り入れねばなりません。その具体的なガバナンス(手法)が、「フルスペック代表選挙」なのかなあと思います。

また、「中道」とはそもそも、「対立の迷路」から抜け出すためのお作法です。
これはなにも、私が言い出した話ではなく、国民民主党に所属している、大塚耕平議員が述べていたことです。詳しくは、以下の記事に記載があります。


国民政党になるためには、多様な意見が必要になります。しかしそうなれば、同時に党内にあらゆる対立を抱えることとなります。この対立が慢性化すれば、まさに「対立の迷路」に迷うこととなり、物事が前に進まなくなります。そこで、「中道」というお作法が必要になります。

■「中道的なガバナンス」であるフルスペック代表選挙


「中道」というお作法を具現化した仕組みは既に存在しています。それがまさに、「フルスペック代表選挙」です。選挙戦のなかで、対立意見を聖域なく戦わせ、選挙が終われば一丸となって、対立相手を要職に就けるなどして、党内融和を図るわけです。単に「国民政党」であることの要件という以上に、「中道勢力の結集」を考える場合にしても、「中道的なガバナンス」たる「フルスペック代表選挙」が必要となるわけです。

■転ばぬ先の杖


冒頭で述べましたように、私は都民ファのことを貶めようという意図はありません。私はあくまでも、「中道勢力の結集」を実現するための最適解を模索しているわけです。
その中では無論、国民民主党と都民ファが現在繰り返しの協議を重ねているように、「政策の一致」が肝要とも思いますが、それだけでは足りないのかなと思います。

まさに、先ほど述べました「フルスペック代表選挙」などの「党内民主主義」についての認識を一致させることが、地域政党ではない、「国政」の新たな枠組みを作る上では必要になるのではないかと思います。

認識を確認する中で、国民民主と都民ファの認識が一致するならば、それで問題ないことだと思います。政策の一致のみならず、「国政の中道勢力」としての党内統治についての認識も一致しているわけですから、ますます、「野合」との批判に反論する確固たる根拠ができあがるというわけです。

また、事前(合流の前)に党内民主主義についての合意形成を経ておけば、合流後に党内民主主義について、党内対立が生じる芽も潰せるわけですから、合理的に考えれば、政策の一致と並行して、党内民主主義についても認識合わせを行っておくことは理があるように思います。

■希望の党という前例

とは言え、流石に都民ファを疑いすぎな気もしますよね。だって都民ファが国政進出するのはこれからですし、そもそも「フルスペック代表選挙」を否定するとは限らないわけですから。しかしそこにも、理由はあるわけですよ。

かつて、希望の党というものがありました。言わずもがな、東京都知事の小池百合子さんが作った政党です。これは実質的に、都民ファが一度、国政に展開した前例と見なすことができるのではないでしょうか。


この希望の党において、代表選挙というものがありました。しかし上の記事をご覧頂ければ分かるように、「国会議員」のみによる代表選挙でした。これは一つの考え方として、フルスペック代表選挙を行うことは、地方政党の相応しい統治としてどうなのか、国政政党の相応しい統治としてどうなのかという以前に、単に党内民主主義に対する意識が低いだけだった可能性も、あるのではないでしょうか。

無論、現在の都民ファにおいては小池氏の影響力はさほど無いのだろうと思いますが、小池氏が作り上げた希望の党に、党内民主主義への意識がそもそも欠落していた可能性がある以上は、疑っても疑いすぎるということはないように思います。

その点を考えれば、ますます、党内民主主義の面において、一定の合意形成を図る必要性はあるかと考えます。

また、単に希望の党の再現だという考え方だと、党内民主主義の部分はおざなり、ただの再放送でこそあれ、選挙目当ての元サヤではないかと疑われる余地も残ります。「野合」批判の正当性をさらに奪うためには、やはり政策の一致と、党内民主主義の価値観の一致の両輪を重んじる必要があるのではないでしょうか。

■最後に


私としても、嫌われる覚悟をもって、ありゆる批判を行ってはいますが、嫌われたいがために批判しているわけではない、ということはこの場を借りて申し上げたいです。

また、私の考えはあくまでも「中道勢力の結集」であり、私が行う批判とは、それをより理想に近付けるための批判であるということも、申し上げておきたいと思います。

私も不器用なので、言葉足らずな面はあるかと思います。その点は誠に、申し訳ないと常々思います。
それを自覚していればこそ、私は私なりに、どうすれば私の意図が伝わるのかを日々日々考えている次第です。

お読み下さりまして、誠にありがとうございました。

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