Art Outbound Digest Vol.8
2022/11/20
1:アーティスト・イン・レジデンスについてのあれこれ(忖度無し)
今回はアーティスト・イン・レジデンスについて書いてみますね。
Artist In Residence. 略してA.I.R.
Residencyと書くことも多いですね。レジデンシー。
日本の伝統的な芸術家のキャリアプランだと海外留学というのがありましたが、あれに近い部分もあり、近くない部分もあり。
明治時代に欧米から油絵の技法や欧米流の絵画が入ってくると、日本でも欧米流の絵を描く人が現れました。洋画というやつですね。日本ローカルの絵画ジャンル。
そうした人たちはなんとかコネを使ってヨーロッパに留学しました。
浅井忠とか。梅原龍三郎とか。安井曾太郎とか。藤島武二とか。数え上げたらキリがないんですが、とにかく19世紀後半の西洋美術の中心であったフランス、パリに2年くらい行って箔をつけて帰ってくるというのが基本だった。
ちなみに21世紀の現在では西洋美術の最大の中心はパリじゃないですね。もちろん大きな中心はパリにもあるんだけど、一番大きな中心は海を渡ったニューヨークですよね。ロンドンも大きい。
歴史を遡ると、西洋美術の中心はイタリアにありました。特にローマ市。西洋美術というものがルネサンスの時代に工芸から分離して生まれたわけですが、そのルネサンスはキリスト教が広まる以前の古代ローマや古代ギリシャに憧れてはじまったもので、美術の本場はなんと言ってもイタリア半島だったのですよ。音楽だってそうよ。今でこそJSバッハなんてでかい顔してるけど、あれは19世紀になってドイツ人が歴史を捏造してバッハ凄い人って話を作っただけで、同時代ではJSバッハなんて田舎の楽師扱い。音楽の本場もイタリアだった。
たとえばディエゴ・ベラスケスは1629年から1631年までイタリアに行ってますが、これも勉強しに行ったんです。アルブレヒト・デューラーもイタリアに行ってますね。1495-96年。ルーベンスも1600年から1608年までイタリアに行った。この頃の超有名画家でイタリアに行かなかったのはレンブラントとかフェルメールで、レンブラントなんかは逆に「イタリア留学しないでトップクラスの画家やってる変な人」扱いだったそうです。
欧米の美術界におけるイタリア、特にローマの存在の大きさを表すのが「ローマ賞」ですね。フランスのやつが一番有名ですが、音楽や美術の有望な若手をローマに国費留学させるんですよ。フランスでは1663年にルイ14世が創設して、なんと1968年まで続いた。同じ仕組みはオランダやベルギー、アメリカにもありました(今もあったりする)。
で、日本に西洋式の油絵が入ってきた時代、つまり19世紀の半ばにおいては、西洋式の絵の中心はフランスだった。
東京美術学校(東京芸大の美術部門の前身)に西洋画科が出来たのが1896年。印象派が始まって20年以上経ってますね。ジョン・エヴァレット・ミレイが死んだ年。セザンヌやムンクが頑張って新しい絵を描いてた時代です。ちなみにムンクも政府派遣でパリに留学してます。
つまり、美術の先進地域に行ってそこで勉強してくるというのは、何百年もの歴史があって、しかも西洋美術という社会制度の中ではかなり大きな要素でもあったんです。ローマやパリに留学出来るというだけでも、エリートですから。
アーティスト・イン・レジデンスの最大の源流はこれです。
今でも最高難易度のレジデンシー、たとえばアムステルダムの国立アカデミーのレジデンシーとかパリのシテ・アンテルナショナル・デ・ザール、ロンドンのガスワークス、ニューヨークのISCPはこの系統のプログラムですね。世界各国から選りすぐりの猛者やエリートが集まっている場所で、お互いに刺激を受けたり受けなかったりしながら、創作能力を高めていく。寝泊まりして制作している場所の周りには名品を見られるスポットがわんさかあって、勉強の材料には事欠かない。人脈も出来る。
サンフランシスコのヘッドランズもですね。NYだとアマントもそれ系かな。
東京・・・・・・・・・・・は別にほら、世界的に見るとアートの中心じゃないので・・・・・。あると言えばあるけどTOKASというのが・・・・・上にあげたようなとこからは錚々たる作家が出てますけど、TOKASは、うん、skyrocketingとかrising starとかいうフレーズで表現される海外作家を輩出していたかなあ。どうでしょう。
日本だとむしろ山口県とか別府のやつのが有名ですよね。青森にもある。
いやでも山口も別府も青森もどう好意的に見てもローマやパリやロンドンやニューヨークとはジャンル違いますやね。それは何のためのレジデンシーなのか。
実は田舎にある有名レジデンシープログラムというのもあります。
たとえばニューヨーク州のど田舎にあるアート・オーマイやヤドーはその代表格です。
自然豊かなエリアに、ちょっと古風な言い方ですが「芸術家村」みたいなものを作って、寄付金や財団基金で定期的にアーティストを招聘する。
19世紀半ばにフランスのパリ郊外のバルビゾンという村に画家が集まってきてバルビゾン派と呼ばれたのが一つのルーツでしょうか。その後にはブルターニュのポン=タヴァンにも似たようなものがありましたね。
何しろ土地代が安いんで、数で言えばこっちの、つまり田舎のレジデンシープログラムの方が遥かに多いです。ただし、レジデンシーと名乗りつつも実質はスタジオ付きの民泊みたいなものというやつが大半なので、キャリアアップにつながるようなものはあまり、ありません。このサブスクでもその手のものは原則として紹介していません。Res Artisなんかそんなのばっかりで見るだけ時間の無駄ですけどね。
また、レジデンシープログラムというのは長年続いている名門以外はかなり気まぐれです。
募集したりしなかったり、始まったり終わったり。
なので、そういう意味でも見極める目利きが肝心。
私はかなり色々な角度から検証して紹介すべきものかゴミかを識別していますが、有り体に言えばゴミみたいなものがあまりにも多いので、作家さんはわざわざ貴重な時間を使ってRes Artisあたりでレジデンシーの公募をチェックするより、このサブスクに月950円払った方が遥かに安いです。だってドラッグストアやスーパーのアルバイトの時給1時間分で1ヶ月分のまともな公募フィルタリングしてくれるんですよ? 時間は大切に!
私はもう、公募の文章を斜めにさーっと見ただけでゴミが見分けられるようになりましたけどね(笑)
一つ大事なことを書いておくならばですね。
このサブスクで紹介するような「ブレイク寸前/ブレイク直後」の作家さんのCVにゴミレジデンシーが出てくることは皆無です。みなさんちゃんと中身のあるプログラムを見極めて着実にゲットしてキャリアアップしています。
2:ピックアップアーティスト
File 11: Paula de Solminihac パウラ・デ・ソルミニャック
1974年サンティアゴ生まれ サンティアゴ在住
学位:BFA( Catholic University of Chile), MFA ( University of Chile.)
メディア:ミクストメディア、インスタレーション
活動期間 2002-
所属ギャラリー
個展開催回数 16
グループ展参加回数 20
美術館での展示歴 5
受賞・奨学金等 10
またまたわけのわからない人を見つけてきたな?
と思ったあなた。
不勉強ですね?
いや、私もこないだまで知らない名前だったですけども。
パウラ・デ・ソルミニャック。今年のFAENA ART PRIZEを見事に勝ち取った作家です。
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