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すぐに現実を受け入れることはできませんでした。

お前は俺の心の中で生き続ける!

って、漫画のなかではよくあるけれど、ほんとうなんだな、という話。

こんにちは。

サロンオーナー歴、約10年。

ひとりサロン開業コンサル&コーチのけんとです。

私は約20年ほど前、大学院に通っていました。20代半ばごろです。

所属していた学科は「多文化共生」。日本在住の外国籍児童の学習・生活環境が私の研究テーマでした。

やっぱり肌で学ぶことがたいせつだよね、という考えのもと、東三河にある外国籍児童を対象とした学童保育の施設に研究目的で所属し、ボランティア活動をしておりました。

そこで、私は約3年間、フィールドワークというスタイルをとりながら、多文化共生の研究をしておりました。

といえば、かっこいいのですが、実際は、外国籍の小学生の子どもたちに勉強を教え、一緒になってかくれんぼしたり、鬼ごっこをしたり。

研究者というよりも、一緒にあそぶお兄さん。

そんなことをしていたら、途中からなぜかボランティアリーダーになってしまい、学生ボランティアをまとめる立場になりました。

また偶然にも活動をしている間に、ボランティア団体がNPO法人になり、途中からなぜかNPO法人の理事の一員となってしました。

当初の目的であった研究はどこへやら、現場の一員として活動をしておりました。

そんななか、私と同じように研究目的で入ったのにも関わらず、研究そっちのけで、一緒になって活動をともにするようになった男性ボランティアと出会いました。

そのボランティアスタッフ(以下、R)は、大学生。当時大学院生だった私の3つ歳下でした。将来は小学校の教員になるのが夢と語っていたR。

体は180cm以上ありながらも、人なつっこい笑顔と、素直な性格で、人見知りな私ですが、すぐに打ち解けることができ、仲良くなりました。

お互いにお酒が好きだったのもあって、ボランティア活動以外でも一緒に会って飲むようになり、お互いの研究のテーマについて話し合ったり、バカ話をしたり。

そんなこんなで、お互いに熱心にボランティア活動に励み、ときおり酒を酌み交わす友人になりました。

ある酒の席で、Rから次のように言われました。

「 けんとも将来、先生になったら!? 絶対、けんとは先生向いているよ。」

Rの酔いながらのセリフ

将来、何をやりたいのかが、まだ定まっていなかったわかった私。Rなりのアドバイスだったのかもしれません。

そのRに対して私は、「 教員免許持っていないし、いまからなんて無理だよ 」と答えたと思います。

実のところ、先生という職業に興味はあったものの、「◯◯がない」「いまさら」といった、自分への言い訳、ダサいことを言っていました。

その後、Rは無事に教員採用試験に合格。大学を無事に卒業し、念願だった小学校の教員になりボランティア活動も卒業。

Rがボランティアを卒業してからも友人関係は続き、またある酒の席でのこと。

教員2年目にして担任をもつことになり、サッカー部の顧問にもなったらしく、次のように話すR。

「 けんと、子どもってほんとうに可愛いよ、この間なんて、サッカー経験がない俺がただ力任せにボールを蹴ったんだよ。

経験がない俺でも、そりゃ大人だからさ、ある程度ボールは飛ぶじゃない。
そしたら、子どもたちは、尊敬の眼差しで見てくれるんだよ。

顧問なのにこれからサッカーのルール覚えるんだよ、ほんとまいっちゃうよね。 」

Rの酔いながらのセリフ

まいっちゃうよ、といいながら、楽しそうなR。オフサイドを説明するのって、難しいよね、と、そんな話で盛り上がりました。確か、年末ごろの飲み会だっと思います。

年が明けた、ある日、Rとボランティア活動を共にしていた共通の友人から連絡が入りました。

「 Rが倒れた。いまICUに入っている 」

職場の懇親会の席で、お酒を飲んでいたら、突然意識を失い病院に搬送されたそうです。

ICUに入っているということで重大な事態になっていることはすぐに分かりましたが、何をすることもできません、ただただ回復を願うだけでした。

数日後。

意識が回復したという報告を期待する私のところに、その友人から、次の連絡が入りました。

「 R、死んじゃった 」

すぐに現実を受け入れることはできませんでした。数日前まで、笑って一緒に酒を酌み交わしていたRがもうこの世にはいない。Rは、まだ23歳。

しばらくして、Rの葬儀に参列。そこには、いつものように人なつっこく笑っているRの遺影。

泣き崩れているRの母。意味がわからないのか、キョトンとした顔で親につ連れられてきた、Rが受け持っていた生徒たちの姿もいました。

私はというと、他のボランティアスタッフに支えられて、なんとか歩くことができた、という記憶しかありません。

もう20年以上の前の話なのですが、毎年、1月になると、Rのことを思い出します。

「 あなたが何気なく過ごした今日は昨日死んだ人がどうしても生きたかった明日 」

という言葉を何かで読んだことがあります。

Rのことがあって以来、1日1日をたいせつに生きよう、と思ってきました。

現在、私はセラピストになり先生と呼ばれる立場になり、コーチ・コンサルという仕事もはじめました。

子どもたちに勉強を教える、という意味での先生ではないにしても、人にものを教える(伝える)という意味であれば、結果的に「先生」になりました。

いつか、Rに

「 実は、あれから、ある意味、先生になったんだけどさあ、あのとき本気で言ってくれてた!? 」

と聞いてみたいと思っています。







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