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愛しのスノーシュー

「動物ってすごい」と、冬山に入るたびに思う。
その身一つで、白く美しい山を駆けていく。雪山に残された足跡を見るたび、颯爽と走る彼らの姿を想像する。そして、うらやましくなる。

冬山に入るとき、寒がりの私はモコモコに着込んで耳も手も完全防備する。
さらに、雪で沈んでしまわないよう特別なギアを足につける。それは、スノーシューといって、現代版のわかんや、かんじきだ。

スノーシューをつけるといつも、雪山のカモノハシになったような気がする。スノーシューを装着した足が、水かきのように見えるからだ。カモノハシは、水かきのおかげで泳げる。人間はスノーシューのおかげで、雪を歩けるようになる。


スノーシューとストック

札幌に引っ越して、スノーシューのツアーに参加してから、その魅力にハマり、ついには、マイスノーシューも手に入れた。

しかし、その後、関東への転勤、外出自粛もあり、まる一年使っていなかった。スノーシューは、クローゼットの一番上に鎮座していて、ドアを開ける度に、外に出させてあげられないことを申し訳なく思っていた。もしかしたら手放した方がいいのかな、とも。

だけど、ようやくスノーシューの出番がきた!山梨県の入笠山に友人と行くことになったのだ。ここは、本州では珍しく、スノーシューが盛んな場所だ。

ゴンドラを降りて、スノーシューを装着する。指はかじかんでいるのに、心はとてもほかほかする。ずっと、この瞬間を待ちわびていた。
雪は、踏み固められていて、ふかふかとは言えなかったけれど、真っ白の世界の住人になれたことが、何より楽しい。

山頂に着くと、360度の展望のはずが、あいにく白く厚い雲に覆われていた。でもその雲の中で、頂点だけ、丸くぽっかり穴が空き、真っ青な空がのぞいていた。太陽も温かい。そこにいたのは、友人と私の二人だけで、ここにいることを許されたような気がして嬉しくなった。

帰りは、急な坂道を見つけて、雪の上を走って降りる。普通だと、足が雪にハマって進めないけれど、スノーシューがあると、ガツガツ走れる。それに雪の上だから、転んでも痛くない。走っていると、ちょっとだけ動物の仲間入りができたような気になる。

ある本で、外国の宗教の「盗むな」という考え方を知った。「盗むな」とは、同時に「盗ませるな」でもあるという教えだった。人のものを盗んではいけないのはもちろんのこと、人がものを盗める状態を作ってはいけないということだ。盗めてしまう状態とは、自分がものを使っていないという状態のことで、つまり必要以上にものを持ってはいけないという戒めでもある。

この文章を読んだとき、私は、自分のスノーシューのことを思い出して胸が痛んだ。盗めてしまう状態にずっとしているな、と思ったからだ。でも、山に連れて行くたび楽しくて、家でも見るたびときめいて、私を雪山にかりたてるカモノハシちゃんたちなのだ。それに、この子達を手放すなら、先に取り組むべきものが、まだまだたくさん残っている気がする。

いつか、なんてあんまり使いたくないけれど、(「いつか」は永遠に来ないことが多いから)でも、私はいつかきっと、これをもっと頻繁に使う、雪の降る町で暮らす気がする。それか、スノーシュー以上に夢中になれるものが見つかって、誰かに喜んで譲っているかもしれない。
だから、今は白黒つけず、この子たちを手元に置いておきたい。

2022年1月の出来事です。


うさぎの足跡 (札幌岳)

表紙の写真は、北海道の札幌岳で撮ったものです。

#スノーシュー #登山 #入笠山 #北海道 #札幌岳 #断捨離 #雪


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