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好きなことが好きって言えない。花の名前が覚えられない。

ジェーン・スーさんのお悩み相談ラジオで「好きなアーティストがいるけど、全曲聴いてないから、好きって言えない」という投稿があった。

私もまさしくそう。Perfumeが好きなのに、好きって言えない。ライブも二回行ったけど、Perfumeを好きな人はすごい好きだから、そういう人たちに太刀打ちできない。Perfumeの音楽や彼女たち自身に強く心が動かされるのに、私は、それらを語ることができない。だから堂々と「Perfumeが好き」って言えない。

植物に対しても同じ。「植物が好き」って胸を張って言えない。
私は大学のとき、植物を専攻していた。高校生のとき、パークレンジャー (国立公園の職員) って素敵な職業だな、自然に囲まれながら人と自然をつなぐっていいなと思い、それに近づく進学先を選んだ。大学のクラスメイトたちは、自然がすごく好きで、バリバリの知識があった。彼らが目をキラキラさせながら語る、植物の世界は面白かった。待ち時間に、ナショナル・ジオグラフィックを読む彼らに対して、私の「好き」は、根本的に足りない気がした。自分なりに頑張って追いつこうとしたけれど、彼らのように、のめり込むことができなかった。私は違う世界で生きていかなければいけない、と思った。

北海道に来て、登山を再開した。花を見つけると嬉しい。花の名前も、たまに調べる。わからない場合が多いけど、わかると、もっと嬉しくなる。知らない花が登場しすぎたら、お花調べは終了する。勉強になると、楽しめなくなってしまうから。

先月、同僚と三人で近所の山に出かけた。山道に可憐な花が咲いている。広めの道だったら、ポケット図鑑と見比べながら、これでもない、あれでもない、と話し合う。そんな私たちの横を通った、ひとりのおばあさんに、同行者が自然に話しかけた。「この花の名前わかりますか?」と。その方は「ええと…それ山菜よね…」と少し考えてから、「たぶんアズキナよ」と教えてくれた。図鑑には載っていなかったけれど、携帯で調べると、まさしくそれだった。

教えてもらったアズキナ

私は、知らない人に話しかけるのにも躊躇してしまう。そして、相手が花に詳しいかもわからないのに、相手がもし答えられなかったら失礼にならないかな、と先回りして考えてしまう。だけど彼にしたら、「知らない」と言われても、「そうですか。花の名前って難しいですようね」とか言って、ただ、それだけのことなのだろうな。

今月、別の山 (樽前山) に登った。お花畑のようなところだった。花畑の間に、人ひとりが通るのが、やっとの細い道が続いている。そんな道で人とすれ違うため立ち止まると、足元の鮮やかな花が目に留まった。つい「この花綺麗ですね」と話しかけた。ベテランぽい、その女性は「シオガマ。ヨツバシオガマよ」と応えて去って行った。先月の彼のように、花の名前を自然に聞けた自分に喜んだ。

しかし、家に帰ってから復習すると、何か違う。花は似ているけれど、葉っぱが違うような…いくつかの登山ブログを見て、「ハクサンチドリ」かと見当をつける。彼女も、パッと見ですぐ応えてくれたから、葉までじっくり見ていなかったのだろう。
調べている最中は、彼女が間違うはずがない、と意味のない自信があって、間違えていたら、聞いた彼女に申し訳ない、と勝手に思ってドキドキしていた。けれど、「ヨツバシオガマ」ではないということが確実になってきてしまって、こんなもんでいいのだ、と拍子抜けする。花の名前は、すごく大事で絶対間違えられない、と思っていた。だけど、そうではないみたいだ。
美しい花が咲いている、その瞬間を誰かと共有できたことが幸せなのだと思う。そもそも花の名前は、人間が後から勝手ににつけたものだ。あの女性と、あの会話がなかったら、単に「綺麗な花が咲いていた」で終わっていただろうな。

ジェーン・スーさんは、ラジオのお悩みに対して、「知識の量 イコール 好きの量ではない」と答えていた。
まだ堂々と言えないけれど、植物が好きだな、と思う。

単なる知識の積み重ねじゃなく、文章の、その行間に私の好きをたくさん詰めたい。

樽前山のハクサンチドリ?

写真は、風不死岳 (ふっぷしだけ) に登る途中で見た、恵庭岳と支笏湖です。

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