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演劇部参加中止の荻窪高校「荻高祭」。多忙でした。

22日(金)に、荻窪高校演劇部の文化祭(23・24日)参加中止が決まったので、加藤は喪失感に苛まれつつヒマだっただろう、と想像されたかもしれませんが、実は大忙しでした。

長文です。

21日(木)に荻高体育館で演劇部コーチの僕と、軽音楽部とダンス部の顧問の先生方と打ち合わせ。その際、軽音楽部の先生が発熱して辛い、というお話をされておりました。

仮にS先生とします。この先生は2019年に呼吸と鼓動を止めた私の二男が荻高在学時にもお世話になっていた重鎮で、学校内でも要職につかれており、さらに軽音の顧問としてベースとドラムを担当されていると同時に、学内の音響関係機材の管理もされており、「ひとりで4人分くらいの仕事をしている」と評されるほどの方です。

2020年に僕が初めて荻高で「演劇入門」の授業を開始した際に、担当してくださっていた先生でもあり、親子揃ってお世話になった、というわけです。

そして翌22日(金)、演劇部の文化祭参加中止が決まった後、別件で保健室の前で保健の先生とお話をしていて、「S先生、結局インフルエンザだったらしくて今日から出勤停止になっちゃったんですって」と聞き愕然。荻高祭どうなるんだろう、という話をしておりました。

と、そこをギターを背負った先生が通過。
保健の先生が「軽音楽部、どうなってますか?」と聞くと「S先生がいなくなってみんな呆然としてて。ドラムとベース無しでどうやって演奏するか、って話をしてます」とのこと。

そこで、不思議なことに「あ、演劇部中止になったんで、ドラムなら僕できますけど」と口走ってしまったのです。

後から思えば、もう30年以上人前でドラムは叩いてないんです。
「できます」と言えるレベルじゃないはずなのに、なんで口走ったのか今でも謎。おそらく、S先生の穴を埋められるならなんでもしよう、という気持ちがあったのと同時に、二男に「おとーさん、なんとかしてあげなよ」としゃべらされたんじゃないかとさえ思いました。

しかし、「できますけど」と伝えた瞬間、その、仮にK先生としますが、その先生の目がキラーンと光り、「ちょっと、体育館に来てください」と連れていかれてしまいました。・・・・・・保健の先生とのお話はまだ終わってなかったのに・・・・・・。

そして、S先生がドラムをやるはずだったバンドのメンバーに紹介され、「ちょっとやってみましょうか」という話に。「何やるの?」と聞くと、「ブルーハーツの青空」とのこと。もちろん曲は知っていましたが、ドラムがどう入ってどう叩いていたのかまでは・・・。そこで、急いでiPhoneでイントロだけ聴いて、「えっと、とりあえずやってみますか」とスタート。ベースの男子の顔を見ながら、もたつきつつリズムを刻み、なんとなく終了。

「いいじゃないですか。助かります!!あ、優里のドライフラワーって知ってますか?」と。「聴いたことはあるけどドラムを意識しては聴いてないなぁ」と言うと、「知ってるんなら大丈夫でしょ」と軽い返事。なんとなく叩いてみると「いいですいいです、家帰ってから一応全体の構成を確認して来ていただければ助かります」と。

おいおい、マジかよ、2曲かよ、と思いつつ練習は終了。

その後職員室に行き、演劇部の参加中止を生活指導の先生に報告したりなどしていたところで、ふと気になって「日曜日の学内向け発表会(各種文化系団体が全校生徒の前で発表を行うイベント)のPAと照明って、S先生がいらっしゃらない場合どうされるんですか?」と聞くと「あ、どうしよう」とのこと。「僕、ダンス部の照明をやりにくる約束をしてるので、朝から来ましょうか?」と、またしても口走ってしまいました。すると即座に「お願いします」と。また二男に言わされた感。

帰宅後、青空とドライフラワーを聴いてみると、青空はまだしもドライフラワーのドラムが超絶難易度であることが判明。歌詞を手書きして、そこにフィルやリズムの変化を書き込みつつ何十回か聴き込みました。

そして23日(土)、軽音楽部の発表は13時からだったのですが、とりあえずドラムを触らせてもらおうと11時に行ってみると、ちょうど軽音がリハーサルをしていたので参加。さらに軽音が所有するLEDの小型照明機材も運び込まれていて、3年生の男子がPA卓と同時に操作していたので「S先生が明日(日曜日)のPAをやる予定だったのにいなくなっちゃったからPAを僕がやることになってたんだけど、君、やってくんない?」とスカウトすると、「いいっすよ」と快諾。さらに「ダンス部の照明も頼まれてたんだけど、そっちもやってくんない?」と頼むと、「いいっすねぇ」と快諾。照明・音響好きな軽音ギタリスト、なんて、もうめっちゃシンパシーを感じてしまいました。

そんなこんなでバンドのメンバーと2曲練習。僕の手書きの「譜面」を見て「あっ、研究して来てくれたんですね。それだけで嬉しいです」と言ってくれました。

そしてなんとか本番を終え、軽音の副顧問の先生たちから感謝されつつ帰宅。

翌朝(日曜日)も「12時半に来て」と言われていたのですが、あえてまた11時前に行ってみると、またしてもちょうど軽音楽部が練習中。がなんと、前日にスカウトしたPAくんがギターを持って演奏していました。

「え、照明どうすんの?」と聞くと、「あっ。・・・やってくれませんか?」と。なにもかもが現場かよ!!、と思いつつ、LED照明の調光卓をいじって操作方法を研究して、RGBの変え方とチェイスのやり方、ストロボスピードの調整などを体得。

そして、軽音やダンス部はLEDでやるとして、他の出し物やイベントの時に使わざるを得ない体育館の据えつけの照明機材はどうしよう、と気づきました。

軽音楽部所有のものとは異なり、40年以上前のものと思われる、僕たちが学生劇団時代に小劇場で使っていたのと同様のものが鎮座。

主幹を入れ、フェーダーを1チャンネルずついじってみると、ボーダーライト3色とホリゾントライト3色しか繋がっておらず、ボーダーだけを使うことに決めました。あとはステージ上の蛍光灯を適宜。・・・・・・舞台照明では蛍光灯は使いませんけどね・・・・・・。

そしてあっという間に発表会が始まりました。
基本は「PAくん」がPA、照明が僕。そうこうしている間にも次やその次の出演者から、PAや照明に関する注文が飛んできます。

・・・・・・コレ、僕と彼がいなかったらどうなってたんだろう、と思いつつすべてその場で対応して、約2時間のイベントが無事に終了しました。

いやしかし。
高校の文化祭にガチで参戦するのは、当然ながら自分が高校生だった時以来。

しかも、荻窪高校にとってはコロナのせいで3年ぶりのフルサイズの文化祭、ということで生徒たちのテンションもMAXで、僕は押しかけ参戦ではありましたが、みんなのエネルギーを全身で受け止めることができて、さらに若返ったような気がしました。

30年以上、「お金をいただいてエンタメを提供する」という仕事をしてきたので、完成度とかクォリティに命を懸けてきたのですが、文化祭は無料催事ですからクォリティよりとにかく安全に楽しくやり遂げることが肝要。ほんとに、みんなが楽しんでいたのを見られたのが最高に幸せでした。

というわけで、演劇部の参加中止で特大の喪失感にさいなまれた数分後に始まった怒涛の文化祭参戦でしたが、不思議なことに疲労感は全くありません。

楽しむ、楽しませる、ということの原点に立ち返ったような爽快感と充実感だけが残りました。

そうです、純粋に楽しむ、楽しませる、という場に居合わせることができたわけですから。

僕がエンタメの世界に入るキッカケとなったのは、自分の高校時代の文化祭が原点でした。あのときの充実感を超えるものを求めて大学1年生時代を過ごし、2年生の春に演劇と出会い、その後40年にわたって続けていたわけですから。

今回の荻高祭をキッカケにプロを目指す生徒もいるのかもしれないなぁ、いてほしいなぁ、と思いました。

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