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メディアにそそのかされてゆたぼんに低評価つける人とぜひ考えたい、本題とは?

このYouTube投稿から始まり

こういう記事になり、それに対してひろゆき氏がTwitterで書いたことが

こういう記事になる。

ここで残念なことに「中学校に行く気はありませーん!」なことは是か非かだけで見てる人が多い。メディアの思うツボ。ゆたぼん氏の動画を全部見た人は少ないかもしれない。気になるなら見てない人は見てほしい。たった7分。倍速でもいい。

冒頭を見れば分かるとおり、この両手を広げた子どもっぽい演出の写真は動画中の一場面でサムネではない。
じゃあ、これがニュースのトップ写真&タイトルだったら?

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「教育は学校に行くことだけじゃないから」元小学生ユーチューバー・ゆたぼんが不登校を宣言

これがトップだったら?

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「俺みたいにホームスクーリングとかフリースクールでもいいねん!」元小学生ユーチューバー・ゆたぼんが不登校を宣言

そしたら、乙武洋匡さんがあたかも諭すようにこうツイートしただろうか?

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どうも最初のニュースの見せ方が低俗だから、そのあとの反応もなんだかしっくりこない。

ゆたぼんのパパとひろゆき氏の口ケンカを見てても分かるように、この「ホームスクーリングとかフリースクール」の質がどうなの?という話題が本題。学校だけが教育の場じゃなくない?という問いを投げかけるのがゆたぼん氏(&パパ)で、それに対してホームスクーリングとか言ってるけど質を担保できてないでしょう?という批判がひろゆき氏で意見。現状どちらも間違ったことを言っておらず、大切な問いを探究してくれている。しかし、ひろゆき氏に関するニュースも「不登校を許す親=アホ再生産」みたいに見えて、もはや両氏にとっても全国の不登校児&その親にとっても、誰にとってもプラスでない。

通信制とフリースクールって何が違うの?はたまたホームスクーリングって何なの?何が「学び」として担保されていればいいの?学習の内容なの?教える人の問題なの?という議論が世間で深まる契機、啓発の契機になればいいと願っている。かく言う私もまだまだ詳しくないので、興味を持ついいキッカケになった。繰り返しになるが、ゆたぼん&パパ&ひろゆき劇場は、すごく大切な問いを投げかけてくれている。

そんな中、この4月に岐阜市で不登校児専門公立中学校が開校。この記事は併せて読んでいただきたい。

子どもたちが勘違いしている言葉の一つに、「義務教育」という言葉があります。子どもたちのほとんどは、学校に行かなければいけない義務だと感じています。どんなに苦しくても、どんなにしんどくても、行かなければいけないのが義務教育だと勘違いをしています。
子どもたちにあるのは「義務」ではない、学習「権」だ
大人はここで声を大きくして、それが間違いであることを伝えないといけないと思います。子どもたちが持っているのは「学習権」です。学びたいと考えたときに、学んでいいという権利です。義務を負っているのは大人で、その子どもたちが学びたいと言ったときに、学ぶ方法すべてを提供しなければなりません。教室の中に、正方形のタイルのようにまっすぐ並ぶことのできた子だけが学んでいいという、そういう条件付きの学びではなく。子どもたち、いつ、どこで、だれと、なにを学びたいのか、そのすべてを選んでもいいはずで、その環境を提供できることこそが、大人に課せられた使命だと思います。
(塩瀬隆之氏・下記事より抜粋)

開校式の校長式辞はこちら。

教育の在り方は国の根幹に影響する。いつだってどこだって為政者は教育を使って社会をコントロールする。これから議論が活発になっていくのが楽しみだ。

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