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【復刻】ツナカン物語〜もうひとつの「ただいま、つなかん」①

映画『ただいま、つなかん』というある民宿の女将のドキュメンタリーが公開されました。気仙沼は唐桑半島にある民宿です。

私もそのドキュメンタリーにちょろっと出てくる関係で、いろんな方からメッセージをいただいています。ありがたいですね。

いってらっしゃい、「ただいま、つなかん」という心境で。風船を括り付けられ、ふわふわ空に飛んでいく感じ。横では、主人公の一代さんやえまたちが手を叩いて喜んでる。監督の風間っちは一生懸命地上から風を送ってる。

私にできることを考えたとき、東日本大震災から干支がひとまわりする今日、つなかんについて改めて発信することかなぁと、花粉症ではたらかない頭をまわそうとしています。

映画を見た皆さん、民宿「唐桑御殿つなかん」が当初「ツナカン」とカタカナだったことに気づきましたか?ツナカンは学生ボランティアの拠点だった時代の愛称です。

そんなツナカンの誕生物語を当時ブログに記録していた男がおりました。昔の日記を開くようでこっ恥ずかしいですが、何回かに分けてお届けします。映画をまだ見てない皆さんも、これを読んで「へぇ、観に行こっかな」と思ってもらえれば嬉しいです。

2011年、震災復興支援ボランティアとして唐桑半島にやってきた男(22歳)から見た、もうひとつの「ただいま、つなかん」です。


ツナカン物語 [2011年09月14日(水)] 

鮪立に「唐桑のマドンナ」がいる。
カキ養殖業の奥さんで、とてもエネルギッシュだ。
3階建ての立派なお宅は、3階まで波を被った。今はそのすぐ後ろの家を、これもまた波を被ったのだが、新たな住み家としている。

3階建ての家で作業し始めたのは、6月の頭。ある人の紹介でニーズを知った。
はじめ現場に入ったのは、シンゴ。
「唐桑のマドンナには会った方がいいよ!」シンゴがそう興奮気味に語るのを、今でも覚えている。
作業内容は、水を吸ってゆがんだ天井はがしや、床下に石灰を撒いて消毒。
馬場家のカツモトさんと亮太と3人で、作業に行ったりした。マドンナも加わって4人で床下に潜り込んで、石灰で真っ白になった。
天井は、バールで下から突き上げるようにドスドスっと周囲四隅を浮かし、ぶら下がってバリバリとはがす。ドカンっと天井が降ってくる。メットをしてなかったら、悲惨なことに…

「わー、キレイになった!キレイになった!」マドンナに褒められ、またやる気を出す。
昼メシには、初めてマンボウの刺身を食わしてもらった。

GakuvoやIVUSAにも片付けをしてもらう。
みな、マドンナのパワーに圧倒され、マドンナのトークに爆笑し、力をもらった。
徐々に家がキレイになるにつれ、マドンナが言う。
「この家は一度はもう取り壊そうかと思ったけれど、みんなにキレイにしてもらって、取り壊すのがもったいなくなってきた」
3階まで波を被ろうと、家の基礎や柱に問題はなかった。すごい家だ。

「私には夢ができた!いつか将来、ここを改装して、手伝ってくれたボランティアさんたちが帰ってこれるようにするの。そのときは、私がカキなり何なりを御馳走するわ。泊まってもいいし、休憩でもいいし」
ボランティアに恩返しする場所にしたい。帰ってこれる場所にしたい。みんなが集まれる家にしたい。
「それ、絶対やりましょう!みんな、唐桑に帰ってきますよ」

そのうち、鮪立地区で作業する際は、マドンナの家に休憩しに行くようになっていた。
作業中に津波注意報が出たときは、皆で避難しにいった。

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それから1ヶ月は経っただろうか。夏休み目前。マドンナに相談しに行く。
「この夏は、学生はじめたくさんのボランティアが来ます。この3階建てで、寝泊まりできるようしませんか」
旦那さんやマドンナは快諾してくれた。
これで、唐桑ボランティア団事務局として、短期団体を受け入れやすくなる。
マドンナの夢の一歩にもなってくれたら。

マドンナは、それから空いている時間を見つけて、せっせと拭き掃除をしてくれていた。
ボランティアがやるからいいですよ!と言っても、オレらがいない間に掃除を進めている。

泥やガラスだらけだった床が、ついにスリッパで歩けるようになった。
風呂の上の天井が抜け落ちていたのだが、それも新たに入れてくれた。
トイレのドアが波にぶち抜かれていたのだが、新たにしてくれた。
2階部分は床が抜けて1階が丸見えだったのだが、床を敷いてくれた。
Gakuvoとの契約が進み、電気、水道を引くこととなった。地元唐桑の業者に来てもらって、家の中を見てもらう。
1、2、3階全てに電気が通ることとなった。

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「ほいっ、そこのスイッチ押してみて!」
ぽちっ
パーっと部屋が明るくなる。おおぉー!電気だ!マドンナとハイタッチ!
流しからジャーっと水が出る。水道や!

遂に、家の中を素足で歩けるようになっていた。


続・ツナカン物語 [2011年09月15日(木)]

わいわいと仲間内でこの新たな拠点のニックネーム、屋号を考える。
ホワイトボードに候補が挙げられる。
「キャンプ○○」だとか、「ホテル○○」とか、「スナック○○」とか…
「鮪立(しびたち)の基地だから、“ツナ(鮪)スタンディング(立)”ってどうよ。横文字でいこうや。ツナスタ!」
マドンナは菅野氏なので、「かんの」は入れたいよねぇ。
すると、地元の高校生がポツリと、
「ツナカンは?」
「…ツナ缶?…あぁ~なるほど!」
鮪立の菅野家で、ツナ(鮪)カン(菅)。

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マドンナが言う。
「ボイラーがあれば、お風呂に入れるんだけどなぁ」
写メールの仕方が分らないというので、私が代わりにボイラーの写真を撮り業者に送る。同じ型のボイラーを格安でお願い!とマドンナが交渉してくれる。
ガスは、カセットコンロでOK。
1階がリビング兼キッチン、2、3階は寝室。20~30人は寝れるキャパの広さ。
3階に御座を敷く。ベッドも3台ある。
これで、全て整った。

8月10日夜、Gakuvoの学生が到着。
ツナカン、オープン!
「皆さん、ツナカンへようこそ!」

真っ暗な鮪立の海岸沿いに、若者の笑い声と灯りが咲いた。

マドンナはすぐ裏に住んでいるので、しょっちゅうツナカンに顔を出してくれる。前を通りすがる地元の住民も、「今度は何人来てたの?ご苦労さまね」と声をかけてくれる。
ツナカンの名も定着した。

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マドンナから早朝まだ薄暗いころ電話が入る。
「お義父さんが亡くなってね。ちょっと忙しくなるから、今日カキはお休みね…」
旦那さんのお父さんが亡くなる。
マドンナにお世話になっているボランティアは、FIWCやGakuvoだけではない。カキ養殖のお手伝いなどでRQともつながりがある。また、唐桑で有名な家だ。大きな報せとなった。

後日、ある地元の人がツナカンの話をしてくれた。泣きながら。
6月、マドンナを私たちFIWCに紹介してくれた人だ。

「おじいちゃんが調子悪いのは聞いてたけど…」
声は涙で震えている。
「あの家は、おじいちゃんが大好きな家だったから、だから被災しても、またおじいちゃんが帰ってこれるようにって、おばあちゃんと(マドンナが)2人だけでガレキ出しとか、家の片付けをしてて…
でも、やっぱり人手が足りなくて。だから見かねて…私はFIWCのことを紹介して。
でも、おじいちゃんはもういなくて…」

私は眉間にしわをつくって、その話を黙って聞くしかなかった。何も言えなかった。
何も知らなかった。
「家」。人の家を借りるってことの重大さを考えさせられた。
感謝の意は足りていたか?被災した家だからって、軽々しく「貸してください」って言ってなかったか?今いる学生は、それを知っているのか?わいわいやってていいのか?
家には、歴々の家主の想いがたっぷり詰まっているんだ。
単なる箱モノなんかじゃない。きっといろんな夢が詰まってるんだ。

マドンナはそんな悩みを吹き飛ばすように、変わらず明るく言う。
「おじいさんは、賑やかなのが好きだったから、きっと喜んでるよ!」

引き続き、学生ボランティアはツナカンに入ることとなった。今も鮪立のガレキ撤去をしてくれている。

菅野さん、本当にありがとうございます。


加藤拓馬のブログ「遠東記」より
https://blog.canpan.info/entoki/archive/70
https://blog.canpan.info/entoki/archive/71

映画『ただいま、つなかん』公式サイト
https://tuna-kan.com/

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