ソーシャルやくざが小さな政策起業家になった話
あなたは気仙沼のローカル政策起業家です
ビビーっとAmazonの袋から出してパラパラ読んでたら、小説っぽくて読みやすいなぁ、と。そのままおもしろくて、一晩でほぼ読み終えてしまいました。読むのが遅い私にとって、2日で読了は驚異的です。それくらい共感と興奮がありました。
ちょうど1年前の2021年正月、お隣まちのNPO法人SETの三井俊介さんに「あなたは気仙沼のローカル政策起業家です」と言われます。政策起業家(Policy Entrepreneur)という言葉は耳にしたことがあり、多少気になってました。
「ナショナル政策起業家の代表として、フローレンスの駒崎さんやRCFの藤沢烈さん。ローカル政策起業家の代表として、たくまくんとぼく自身の事例を(論文で)ピックアップしたい」政策起業家の研究に取り組む彼にそう言われました。なんと。そんな著名な人たちと並べていただけるんですか。
シェアスペースの仲間に「私のことは今日からローカル政策起業家と呼んでくれ」と宣言。「なにそれ」と周り。
とりあえずTwitterのプロフィールに書き加えるところから始めよう。
1年後の2022年正月、この本が発売されました。とりあえずポチっと購入したワケです。
歯磨き粉案件
家計を握っているのは妻で、生活必需品は家計から支出します。
妻はいつも一番安い歯磨き粉を買います。私はそれが不服でした。ここで100〜200円ケチるべきではない、歯磨き粉は大事でしょう、と主張しても聞き入れてもらえません。
そこで私が買いもの担当のときに、300円くらいのちょっといい歯磨き粉を買ってきました。それはまぁ私の勝手な判断なので「これは自腹でいいよ」と家計に出すレシートから抜きました。
使ってみると、やっぱり安いのよりQOLが上がった気がします。私が買いもの担当のときは自腹で300円の歯磨き粉を買うようになりました。
たまに妻も使ってるみたいでした。
1年くらい経ったでしょうか。夜、洗面台でふと気づきます。
「あ。」
新品の300円の歯磨き粉が置いてあります。妻が買って来たものでした。特に請求はされてません。家計に含まれたのです。
心の中でガッツポーズしました。
「はて、こりゃ私の仕事の手口にも通じる現象だ」
ふと、歯ブラシをくわえながら思い至ります。
①お上に対してこれは大切だと口で提案しても聞き入れてもらえない
②そこで頼まれてもないのに勝手にやる
③その効果を実感してもらえる
④お上が納得して予算化して仕組みに組み込まれる
⑤持続的なものになる。文化になる
妙に納得して自分で可笑しくなるのです。歯ブラシくわえながら。
1円ももらえないEXIT
現在、気仙沼全市の中学校で活動させてもらってる探究学習コーディネーターの仕事がまさにそうです。
助成金使って、現場で勝手に無償で始めておいて、実績が出はじめたら「市の事業にしておカネつけてよ」と提言しに行ったり、ロビイングしたり、担当課に相手にされないと議員さん経由で頭越しに交渉したり。やってることは「ソーシャルやくざ」だな。
と言っても、自分たちがリスク背負って築き上げてきた我が子のような事業を、自治体にバトンタッチするワケですから、結果それを受託したとしても、なんとも言えない複雑な気持ちです。
そんなときは「これはソーシャル界隈のEXITなのよ」と自分に言い聞かせます。(EXIT:ベンチャーなどが事業売却して大きな利益を手にすること)
「1円ももらえないEXIT」が世の中にはあるのですよ、と。
自分で揶揄しておいて自分でフォローしますが、決してやましいことはしてません。例え提案どおり政策化されたとしても、受託する際は正式なプロセスを踏みますので。
そう言えば、移住・定住支援センターが誕生するときもそうでした。地方創生の時代の波が押し寄せて来て、市民ワークショップが開催。そこで移住施策の重要性を移住者として喧伝、事業化されたら、提案書をつくってプロポーザルに挑み、受託を決めました。
「元復興ボランティア・意識高い系市民」といったところでしょう。
なんかもっとこうソーシャルビジネスで社会課題を解決する社会起業家とかになりたかったなぁとよく思います。でも、上に書いたような私のチマチマした努力はどれもビジネス的には無価値とされるのです。
「助成金だの委託金だの、いつまで補助金頼みなんだ」と批判されることもあります。ただそれは誤解で、助成金や補助金と違い委託金は対価性があるものなので私にとってはビジネスの一環なんです。
建設会社が自治体から工事の受注をするのはれっきとしたビジネスなのに、NPOが受注したら補助金とごっちゃにされるワケです。残念。
「とはいえ行政委託の一本足打法では持続性がない」というご心配やご指摘はもっともなんで、次の課題としています。
話がそれました。何せ「よく分からん仕事の起こし方」「なんか役所の近くでなんかしてるヤツ」だったのです。
ヨソモノの美学
なんでこんな仕事を一生懸命やってるのでしょう。
それは、私の活動の入り口が東日本大震災の復興支援ボランティアだったからでしょう。当初は移住して11年も住むつもりはもちろんなく、いつかはいなくなる「ヨソモノ」だったのです。
「私が、私が」と自己主張の激しい災害復興おじさん支援者たちを見て、20そこそこの私はうんざりしました。そして彼らは無責任に撤退していきました。「その人じゃないとできない事業を遺して去るくらいなら、最初からやんない方がマシだ」と痛感しました。
「私がいなくなっても、回る“仕組み”を地元の人とつくる」ことだけが価値あることだと、私は私なりに尖った考えを持ってました。
「まちの仕組みにする」がヨソモノとしての私の美学でした。心の底から気仙沼にいいまちになってほしかった。
ただ美学はあってもビジネスセンスがありませんでした。その結果が、今の私の仕事の道です。
希望は創れるんだ
冒頭で紹介した駒崎弘樹さんの著書「政策起業家」は、そんな私のささやかなこだわりとか自虐的な感情とかを全て受け止め、大きくプラスにして返してくれました。
それは「日本の民主主義そのものをアップデート」することにつながると。
そう、そうなんですよ、駒崎さん。会ったことないけど。
と頷きながら読ませていただきました。
政策起業の方法がこの本には書かれています。駒崎さんが言うように、誰でも政策起業家になれると私も思います。あなたもです。
私も小さな政策起業家です。胸を張って名乗りましょう、まずTwitterのプロフィールで。
やっぱり絶望的な未来に希望は創れるんです。
やっぱりおもしろい時代です。
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