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夢を語ろう!朝カテ#11前編〜東ティモールに移住した理由は◯◯だった〜



大分県大分市にあるコワーキング&イベントスペース「KATETE」(カテテ)です。


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憂鬱な月曜日の朝を、「楽しみで仕方ない月曜日の朝!」に変えようと始めた朝活。


題して「朝カテ」

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今回は第11回の備忘録(日誌)を残していきます。


(※以下、本人の承諾を得て朝カテの記事を公開させていただいております。夢を語る、大切な会です。本人の承諾なく内容を公開することはありませんので、ご安心して会にご参加ください。)





#11のメイントピッカーは誰だ !?



今回のメイントピッカーは、広島出身、大分育ちで、東京でテレビ制作のお仕事をされた後、青年海外協力隊として映像制作を伝授するために東ティモールに移住されたという、破天荒な経歴の持ち主(笑)


門上  晋一朗さんです!


門上さん


「門上」という苗字はとてもめずらしいですが、実は、歴史を辿ると、ご出身の広島の海賊の末裔(まつえい)だそうです(笑)
(※根拠はありませんが、お父様からそう聞かされていたそうです。どなたか瀬戸内海の海賊史に詳しい方がいらっしゃいましたら、是非、記事最後の朝カテ申込ページよりご連絡ください!門上さんご本人にお繋ぎします。)






そもそも、東ティモールってどこっ!?



東ティモールは、インドネシアとオーストラリアの間にある小さな島、ティモール島の東半分を領地とした国です。


東ティモール説明



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あと一歩でオーストラリアという、東南アジア最後の島という場所にあります。


このティモール島、西側はインドネシア領地なのです。


インドネシアはオランダ植民地から独立した国なのでオランダ文化。そしてティモール島の東側はポルトガル植民地だったのでポルトガル文化。


その文化的・歴史的な違いから「東ティモール」という独立国家として、西側のインドネシアとは国が分かれているそうです。



そのような背景から、東ティモールはポルトガル文化がとても残っていて、パン食だったり、キリスト教徒が多かったり、公用語もポルトガル語だったりします。


そんな東ティモールという日本人はあまり馴染みのない国に移住するまでのストーリーを聞いていきましょう!





やりたい事が多すぎて、生活拠点が定まらない20代


もともと海外にとても憧れのあった門上さんは、バックパッカーで中国、インドなどの国をヒッチハイク旅行するために、富士山でアルバイトをしたり、車のメーカーでライン工場で働いたりして旅行費用を稼ぐ毎日でした。


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いざ就職!となった時期も、門上さんは普通に企業に就職することを「カッコ悪い」と思い、


俺はアーティストだ。レールにはまった生き方はしない。



という思いで、就職せずに様々なアルバイトをして過ごしていました。




そんな中、とあるテレビ局のカメラアシスタントのアルバイトを経験する機会がありました。



その経験がとても楽しくて、映像をやりたい!映画監督になる!と強く思ったそうです。


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本格的な映像の勉強をするために、映像の専門学校に行くお金を稼ごうと決意し、沖縄の粟国島で働いたり、ディズニーシーで働いたり、まぐろ屋さんで働いたり(笑)またもや、とてつもなく異分野の仕事を経験されます。



門上さんはとにかく好奇心が強い!!



好奇心が強いから、色々な分野の仕事を掻い摘んで経験したいのだそうです。



そして、仕事中はいつもカメラを持っていて、仕事で出会う色々なモノや人、風景を写真や動画におさめることが楽しかったのです。


だから、お店の中のキッチンにこもりっきりで皿洗いをする仕事などは向かなかったようですね(笑)


たくさんの仕事を転々としている間も、映像をやりたいという気持ちが根底にあったんだということが、この事からわかりました。





このままではダメだと気づく30代


アルバイトを転々として、とても楽しい経験を積むことはできていましたが、30代にもなると税金や保険などの義務が重くのしかかってきた門上さん。


本格的に腰を据えてお金を稼がないといけないし、何よりも



勝負していない自分に不安を感じる



映画監督になる、映像をすると決意し、自主制作の映画などを作るコミュニティでお手伝いはしていたものの、自分自身が企画、行動していないことに不安を感じ始めます。



大きな夢を描いてばかりで、「いつか自分も・・・」と実際にアクションを起こすことを後回しにしている自分に、門上さん自身が一番よくわかっていました。


そんな自分を見て見ぬふりをして、勝負に挑もうとしない自分が、内心情けなくて、でも時間はどんどん経っていく。


周りは安定した収入を得たり、夢を追いかけてトライ&エラーを繰り返している。


門上さんは、そんな自分に「焦りと不安」を感じ、内心は押し潰されそうになっていたと言います。




自分の中でこうありたいという理想と現実のギャップに悩み、


就職しよう!と改心します。






就職して本格的に映像に携わる


映画の助監督なども考えましたが、テレビ局に入社した門上さん。


情報番組のADとして始めて、まわりは自分より若い人ばかりが先輩だし、理不尽なこともたくさんあるし、仕事はきついしで、初めてのサラリーマン生活がとてもきつかったそうです。




数年たってディレクターになった門上さん。
その頃にご両親の体調が悪くなり、ご両親が住んでいる大分に戻ってきて、大分のテレビ局でフリーディレクターとして働き始めます。



その後、また東京のテレビ局に戻られますが、寝る間も惜しんで仕事をしたこともたくさんあったそうです。しかし、この時の経験がとても大切だったとお話しされています。


好きな仕事を自分のペースでできる事もとても魅力的ですが、一企業に所属して、ルールやしがらみの中でいかに自分を成長させるか、いかに成功するかを考えて行動することもとても大事ですよね。


門上さんは、



「大変なテレビディレクター時代でしたが、この時思い切って就職して、テレビ局で働くことを決めなかったら、今の自分はない。」



そう語っていました。


この時の思い切りがなかったら、今の東ティモールでの生活もなかったでしょう。


門上さんにとって、自分の人生を変える一大決心であり、大きな一歩だったのです。






そんな中、2011年3月11日。東日本大震災を経験します。


門上さんは、どうしても被災地を映像で残したいと思い、様々な被災地取材の企画を出し続けていました。


いくつも提出した中のひとつで、ひとつ企画が通ったものがありました。


それが、被災地の産婦人科で、電気も水もない中で赤ちゃんが産まれているということを追うドキュメンタリーでした。


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食料や水を大量に車に積み込んで仙台入りし、ある産婦人科での密着を始めます。そのまま10日ほど東北に滞在し、ドキュメンタリー以外の現場中継なども手伝い、たくさんの震災のリアルな映像を残すことができました。


この経験はとても貴重で、今でも忘れられないそうです。





褪せない海外への憧れ


テレビ局では、ある程度仕事はこなせて、一人前の油がのった状態になっていた門上さんですが、やはり海外への憧れはずっと色褪せないままでした。


テレビ局で働いている間も、「海外でいい仕事ないかな?」と、空いた時間にはいつも調べていたそうです。



そんな時、


そういえば、青年海外協力隊って聞いたことあるなぁ



そう思いついて、調べ始めました。


青年海外協力隊といえば、井戸掘りなどの仕事のイメージしかないですが、よくよく調べていくと、職種別移住があり、「番組制作」も職種にあるではないですか!!


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この情報を見つけた時に、門上さんは「おっ!!!!!」と叫び、オフィスで思わずデスクを叩いて立ち上がってしまったそうです(笑)



自分がやりたい映像という仕事で海外に移住できるのです。それはそれは、門上さんにとって最高の発見だったことでしょう!



しかし、そんなに簡単なことではなく、応募枠は2名。
もちろん語学力もないといけませんし、大量の書類審査もあります。



それでも門上さんは、最後のチャンスだと思って、1年ほどかけて本気で準備を始めます。


かなりの熱量で準備をされた結果・・・










見事合格!!!!!



これ、本当にそんじょそこらの努力ではなし得ないことだと思うのです。この門上さんのガッツが素晴らしいと思いました。


そして、移住する国の選択肢が東ティモールしかなかったので、東ティモールに移住した(笑)ということです。


特に、東ティモールにした理由というのはないのですね(笑)


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その頃は、門上さんも東ティモールのことは何も知らない状態で、色々と調べてみると、前述したような戦争の植民地時代があって、独立するまでにとても悲しい過去がある国だということを知ります。


これは、ジャーナリスト魂に火をつけて、たくさん東ティモールに関する本を読んで勉強したそうです。


どんどん東ティモールにも興味がわいて、実際に移住。


東ティモールの国営放送に配属されて、そこで番組制作をするコンサルタントという立ち位置なのだそう。



さぁ、ここまででやっと「なぜ東ティモールに移住したのか?」という謎解きになりましたね!

ですが、まだまだ続きがあります。


東ティモールの国営放送で、門上さんはどんなことをされていたのか?

海外青年協力隊は2年間という決まりがあるのですが、その2年を過ぎた今でも東ティモールに居続けている理由は?

今の門上さんは何をしているのっ!?




その謎は次回の後編で!!


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