TOKYO2020に思うこと
ひと晩じっくり考えて、このCDたちを手放すことにした。
考えてみればこのオリンピックは、当初から味噌がつきまくりだったよ。エンブレム問題で揉め、競技場デザイン問題で揉め、1年延期になり、そして今回、作曲家で揉めて。とても残念だ。そもそも、あちらこちらでの人選が…とも思うがここでは言うまい。
開催に賛成か反対かと問われれば、どちらとも言えねえなあ俺は。
4年に1度の1試合に照準を合わせて、それを目標にそこまでの日々を過ごし、その時その場所で結果を出すことがどんなに過酷で、それに相応しい栄誉がどんなに素晴らしいことかと思うと、その機会を得体の知れないウイルスに奪われてしまうのは胸が潰れるような思いがする。
とはいえ、オリンピックは平和の祭典なのだから、本来は開催が祝福されるべきで、とてもそうはならないこんな状況のときに、相当の無理をしてまで開催するのはどうなのか、とも思う。
今回のオリンピックは、復興五輪を標榜し、日本が東日本大震災から立ち直った姿を世界に見てもらいたい、という趣旨もあったし、去年は「人類がコロナに打ち勝った証として開催する」とも謳われていた。だが残念なことに、どちらも道半ばで、胸を張れる状況ではない。
ずいぶん前だが、ドイツを旅行してミュンヘンを訪れた際に聞いた話。
ミュンヘンでは、1972年に夏季オリンピックが開催された。町を見下ろす高台に、メインスタジアムやプール、ホールなどの関連施設が建設され、緑豊かな公園として現在も市民の憩いの場となっている。
驚いたことにこの高台は、人工的に造られた丘だという。第2次世界大戦で破壊された瓦礫を積み上げて築かれたのだと。
世界が平和でなければ開催できないオリンピック。その象徴ともなる会場の地中深くには、平和のために犠牲になったものが埋まっていて、その上に今日の祭典の実現がある。
我が日本とともに敗戦したドイツ。その国の平和への希求は、かたちとなって遺されて引き継がれているのだ。
(「復興」という言葉を聞くたびにこの逸話を思い出す。そして、防波堤を造るなら3.11の瓦礫で造ったらよかったのにと思う。)
この夏も、良くも悪くも歴史に刻まれることになるだろう。
話を戻そう。学生時代によく聴いていたCDを手放すことにした話だ。
今回の件は、持ち物を減らしたいと常々思っている《断捨離の指標》を考えるきっかけを与えてくれた。手放す決断ができたのは、悔いのない人生を送るために、今の自分にとって必要なもの、これから先の未来に一緒に行きたいと思うものたちを手元に置いておこう、と考えた時に、これはもう聴かないだろうと思えたから。
今の私には、毎日を過ごすために必要な、これからを生きて行くために必要な音楽があるから。
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