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俺はくたばらない

推しについての研究でお給料もらえないかなぁ…としばしば本気で考えることがある。だって、時間が足りない。やりたいことも書きたいこともたくさんある。書きたいことを書くために、やりたいことがある。

同じ言葉はたくさんの歌に繰り返し出てくるし、同じことを歌っているように聴こえるかもしれない。でも見てみなよ、昨日と同じ太陽が今日も昇り、新しくて同じ風が毎日吹いているんだぜ(本当さ)。彼の歌もそういうことなんじゃないかな。
同じ言葉を使っているけれど、同じ言葉じゃない。太陽だって一つしかないんだから、昇ってくるのは昨日と同じ太陽。でも昨日と今日は違う日だ。そういうことだ。


宮本は歌詞を瞬発力で書いているのではないかと私は考えている。
例えば、一般的な作詞法では、1曲の中で同じ言葉が繰り返されないように言い換えて重複を避ける傾向があるけれど、そういうことにはあまり頓着していないように感じる。
瞬発力で書いているのならば、その時々の心情がリアルに反映されているはずで、つぶさに読み解いていくことで心のありようの変遷が辿れるのではないかと思って、歌詞をたよりに作家論に挑んでいるわけである。(そこらへんの思いの丈を「歌詞語彙辞典プロローグ」に書いています。読み返してみたらなかなか良かった(笑)。)


それには、まず歌詞をデータベース化したい。
そう思って取り組んでいるのだが、しかし、なにしろ膨大な量だ。1日1カシマシ=1日に1曲データ入力することを自らに課したものの、果たせない日もある。このペースでは、いつ完了することやら。追いまくられるような気持ちに陥る時も少なくない。

違うんだよ、私がやりたいのは、語彙のデータベース化ではないんだよ!
そのデータを基に、この深遠で壮大な世界を読み解きたいんだよ!

こういうこと ↓↓↓ がやりたいの。

だが、このペースでは…。
焦る、焦る。焦っている。
ああ神様、あたしは今人生のどのあたり?とそりゃ訊きたくもなる。

でも、焦ったからといって作業が進むわけでもないし、嘆いたからといって小人が夜中にやってくれるわけでもないし、ぼやいてる暇があるならその間にも少しでも進めりゃいいんであって。落ち着け、私。

そこでふと思うのだ。
彼も、世間に受け入れられないことに苛立っていた。
と同時に、有限である人生の時間が費やされていくことに焦りを感じていた。
苛立ちと、焦燥と、もどかしさと。
鬱積していくそれらの感情にどう対峙したか――。

それはもう、ただただもがき苦しみながら、それでも歩き続ける。
それだけ。
できることはただひとつ。やり続ける。それだけだ。


自分のことに当てはめるなんて烏滸がましいにも程があるけれども、それが彼の普遍性でもあるわけなので、どうかご寛恕いただきたい。いつの日かデータベースを完成させてやりたい研究をするために、こつこつと入力作業を続けていくしかないんだ。
しかも、果てしない作業ではない。
終わりは、ある。
ゴールはまだ遠くてよく見えないけど。
日本全国縦横無尽ツアーが終わるまでには…、1日1カシマシできれば間に合う計算。頑張れ、私。共に完走したい。

書きたいテーマはたくさんある。

・悲しみとやさしさについて
・悲しみの果てにある部屋について
・このひとが抱きしめたいものは何なのか
・結論を出さない揺るがなさについて
・相反するものとその狭間について
・恋愛の末に自分に還るラブソング
・雨の日も風の日も …etc.

これらの断片が書きかけのまま、データベースの完成を待っている。

慌てても焦ってもしょうがない、1日1カシマシをぶちかましていくしかない。
情熱の炎だけは消さずに。

そうか、
「行こうぜ!」「いつの日か勝つんだ!」とひたすらに言い続けているのは、炎を消さないためなんだ…。
先が遠すぎて泣けてくる。
いや、消すな涙よ、わがこころの灯を。
一歩ずつ一歩ずつ、たゆまずに進んでいくしかない。
そうすればいつの日か、到達できる。

 戦え男よ 聞こえるこのメッセージ
 涙を拭うな
 未来の喜びを 胸に秘め旅立とう
 ( “戦う男” )

…しかし、よくもまあ、ここまで自分のことを信じられるなあ。。。
その強さが才能の一端でもあるんだよなあ…(と、これについても書いた。→note


一歩ずつ歩いていくしかないんだよなぁ…。
行くしかねえ!

とかうにゃうにゃ考えていたら、このセリフの意味がようやくわかった気がする。

 胸には涙、顔には笑顔で、今日も私は出かける。
 ( “冬の花” )



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