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歌詞語彙辞典 プロローグ

歌詞の読み込み調査を始めてより実感するようになったのが、宮本浩次の天才性。いやこれはもう、最初から感じていたことだし、聴けば聴くほど読めば読むほど、そして新曲が発表される度に上書きされるのだけれども、歌詞を文学として読もうとすると、改めてじわじわと押し寄せてきます。

おそらくは、瞬発力で書いている。
ドキュメンタリー映像などを観ると、たしかに悩んだり推敲したりはされています。けれども、ありとあらゆる語彙を総動員して選び抜いて、こねくり回して練りに練っていくというよりも、自分という楽器をいかに奏でるか、メロディーに歌詞を乗せた時に、旋律と言葉をどう融合させたら、その楽器が美しい音色を響かせることができるのか、耳を通して心にまで届く歌になるのか、を追求されている。湧き上がるインスピレーションを手掛かりに、その作業をされているように感じるのです。

DEMO音源では、歌詞になる前のオノマトペの奔流のようなものを聴くことができます。この「セルロース・デュルロ語」(勝手に命名)を聴いていると、メロディ―ラインと歌詞の言葉の抑揚や、母音の響きも考えながら、歌詞を綴っていくのだろうか、など興味は尽きません。

瞬発力に依存しながら、それでも確固たる世界観が成立した美しい表現になっているのは、内包している才能と、蓄えている文学の素養、加えて自身の才能への信頼があるからだろうと思います。その内なる宇宙を己の作品として創り出すことができるのが、天才の天才たるところなのでしょう。
インタビュー映像を観ていると、長い時間をかけて考え込んだ末に、言葉が論理と筋の通った文章になって出てくる。とても頭の良い人なのだと感嘆してしまいます。

歌詞を書くということは、言うなれば、その脳内瞬発力を駆使して、瞬間の直感とセンスでこれだけの文学的哲学的表現をしているわけです。つまり、とてもナチュラルな状態で、好きな言葉や描きたいことを言い表すために相応しい言葉が選び出されて、綴られているのだと思うのです。だとすればその結果として、言葉や言い回し、文脈上の使い方などに傾向が表れても不思議はない。

歌詞の解析をすることで、そのカオスを読み解いてみたいのです。

(※歌詞研究のひとつの結果を「音楽文#3」に書きました。
そちらもご参照いただけたら幸いです。


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