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ルッキズムが進むと、オリンピックは無くなる!?

「風が吹けば桶屋が儲かる」という言葉がある

まぁそれに似たような話をしていく。

要は、

「ルッキズムが進むと→オリンピックは無くなる」

と論理だ。

いや、なぜだ…?となると思う。

まぁ落ち着け、とりあえずちゃんとパンツとズボンを履いてそこの椅子に座れ。


[そもそもルッキズムとは、何なのか?」

→ルッキズム(Lookism)とは、「Looks(外見・容姿)+ism(主義)」すなわち外見至上主義 。外見によって人物の価値をはかることをいい、「容姿の良い人物を高く評価する」「容姿が魅力的でないと判断した人物を雑に扱う」といった、外見に基づく偏見または差別を指す。


ふむふむ、なるほど。

確かに見た目による差別を無くそう、外見にによる偏見はイケナイ的な事なのかな?

そりゃそーだ。
それは確かに良くない。

しかしながら、
見た目が良い悪いは生まれ持って変えられない事実だ。
(整形やメイクは除く。でも身長の高さやスタイルはなぁ…)

アベプラでは、
ルッキズムを訴える人が、
「ミスなんちゃら」とかを批判し、廃止すべきと主張していた。

「見た目が全てじゃないっ‼︎」とか言って。

まぁまぁ気持ちは分かる。

ちなみにカテナジも高身長でイケメンではない。
(そして外資系にも勤めていなければ、スタバでマックなんか開かず、コンビニで100円コーヒーを買って車で休憩をしてるタチだ。)

でも、カテナジは思うのだよ。

ルックスはあくまで才能の一つだ。
足が速いのも才能、サッカーが上手いのも才能…

容姿もその型枠の中の一つでしかない。

足が速い人は遅い人に比べ憧れられるし

そこらへんの草サッカーやってるおっちゃんより、クリロナに憧れる。

外見や容姿でも、死んだ魚の目をしてる性格の悪いデブのおっさんよりかは、キムタクや福山雅治に憧れるものだ。

差別や偏見は良くないが、
外見・容姿は、やはりその人に個性、属性の一つだと思う。

このような見た目、身体能力、知的能力などの個性、属性を、真っ向から否定してしまうと、それに即した文化は停滞、減少、排除の流れが作られてしまう。

つまり、個性は個性で認め合わなければ、大きなイベントやムーブメント、普遍的に多くの人が楽しんでいる文化すら壊しかねないと思っている。

その一例として考えられるのが、「オリンピックの廃止」である。

オリンピックとは、
身体能力、すなわちフィジカル至上主義の祭典だ。
(平和の祭典らしいが、その実、ゴリゴリにメダルで優劣さを付け、ラベリングしている)

先にも述べたが、
見た目も、身体能力も、知的能力も、コミュ力も、論破力も全てその人の「個性の一つ」だ。

「見た目」だけが、「個性」でなくなるのはどーなんだろうか。

加えて、
アベプラに出演していたある団体では、「ミスコンの廃止」を訴え、

ソフィアズコンテスト?内面も含めたコンテストというものを立ち上げらしい。

カテナジ的に「内面コンテストはあっても良い」と思う。しかし、「ミスコン廃止」には反対だ。

「〇〇至上主義の廃止、規制」というものが、ルッキズムを皮切りにゴールドスタンダード化したとして、その先にあるのは「競争の淘汰」だ。

競争という言葉は一見ネガティヴな印象を受ける。

しかし、フィジカルコンテストのオリンピックも、外見コンテストのミスコンも、内面コンテストナルモノも全て、1位を決め、勝者と敗者を順位付けする競争ではないのか?

「競争」の是非は別として、

ミスコン(見た目の競争)の廃止とは、「競争」という概念、価値観自体の否定にもつながる。

ある幼稚園では、
徒競走で1位を決めずにみんな手を繋いでゴールするらしい…

この論理からすると、
ルッキズムの極化は、オリンピックの廃止を招くことになる!と言える。


そして、「ルッキズム推進派の〇〇廃止論者」に思うことがある。

結局、君たちも、

「見た目」による至上主義や競争社会がダメと言いつつも、

「内面」という一属性、一個性を取り上げ、結局、1位、2位を決めるような「競い合い」をしてるじゃないか。

それだったら、ミスコンがあっても良いだろ?
もちろん、内面コンテストもあって然るべきだ。

要は、「廃止や規制というネガティヴな極論」に行き着いしまうことに違和感を感じているのだ。

だって、悲しいじゃない。

見た目至上主義を否定してしまうと、好きな人に「可愛いね」「キレイだよね」も言えなくなってしまう。



これらを踏まえて、

ルーキズマーたちよ、よく聞け。

世の中の「ルッキズムを助長するCM」を規制、廃止するのではなくて、「ルッキズムには賛同しないというCM」を加えて増やせば良いだけだと思う。

なんでも淘汰しようとするな。多様性を認めて、規制や廃止を訴えかけるのではなく、自らの思う「ルッキズムのカッコ良さ、メリット」のみを発信しろ。
君のその発信が認められれば、賛同者が多く集まり、自然と悪き風習は淘汰されていく。

「容姿差別」は断固として断絶されるべきだが、「至上主義」に関しては、各人が持つ思想であり、「至上主義の潮流」を変えたければ、否定・廃止ではなく「ムーブメント、文化」を作るよう努力すれば良いと思う
(キャンセルカルチャーにも似たようなことを感じる)

これを踏まえず、「〇〇は廃止されるべき」とかいってると、
「周りでブーブー言ってる変なやつ」で終わる可能性があるよ。
(張り切ってる無知な学級院長的な?)

だからさ、廃止とか規制とか言ってないでさ、

ルッキズマーたちよ。

シンプルに君の考えるカッコよさ、在るべき社会を世の中に伝えなよ。

俺は、今んところ、オリンピック観たい派だからさ。

そこんとこ頼むよ。

そして世の中は徐々に外見だけでなく内面も見る社会になってきてると思う。

分かってる。

君の良いところは、きっと誰かに伝わってるよ。

お互いさ、楽しくワイワイやろうぜ!

オリンピックでも観ながらさ。


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