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迷路

怒りと失望の間を行き来する自分の感情にひどく疲弊している。常に「得体の知れない何か」に、それが「得体の知れない」とことそのものにさえ怒りを感じてはその熱くて重苦しい思いを消化も昇華もできない自分に対しても、何も変わりはしない世界に対しても失望しているのだ。働きかけもしない相手が変わるわけはないのに、いやそもそも相手を変えようなどと言う傲慢な自分があまりに腹立たしく、同時に虚しい。

唾を吐きながら口汚く罵っていた相手は、鏡に映った自分だったのだ。私は私に対してナイフを突き刺していたのだ。

私の怒りは、私の痛みまでも麻痺させていく。流れる血のドス黒さが生きていることを失望させる。

常に善良であり続けなければならないという義務は誰でもなく私が自分自身に課したものであるのだとなぜ今の今まで気づかなかったのか。誰もそんなことを私に求めていたわけではないのに。自分に課した足枷に怒り苦しみ戸惑っている私は側から見たら滑稽なことだっただろう。

それがわかった今でも、私はこの足枷を外す術を知らない。

善良であれば救われると信じている。信じていれば許されると思っている。許されれば救われると信じている。救われれば何かが変わると信じている。

さぁ、果たして私は善良であったのだろうか。

終わりの見えない堂々巡り。下ばかり向いているから同じところを回り続けていることにも気付けない。

終わりのない迷路はただの地獄。

誰かが訪ねる。「お前の言う善良とは何か。正しいとは何か。お前は何を目指しているのか。」

その問いかけに口をつぐむ姿は見るに堪えない。問いかけには何かしらの答えが必要なのだと、嫌というほど学んできたはずだろう。

口をつぐんで許される時は、頑張ってさえいれば誰かが答えを用意してくれる時はとうの昔に終わったというのに。

褒められたい。認められたい。

私は私を褒めることなどできない。
私は私を認めることなどできない。

こんなところまで人任せ。自分の人生に責任を取れるようになることを大人になることだと誰かが言ったけど、それなら私はずっと子供でいたい。

誰かって誰だ。全て私だろ。馬鹿野郎。

承認欲求も果てまでいけばただのエゴ。そこ超えたら気が狂い、それが救いになるのに。

私はその一線を越えることさえできない。中途半端な愚か者

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